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「ユー・ガット・メール」
1998年/アメリカ映画/ビスタサイズ/ドルビーSRD,DTS,SDDS/119分 ひと組のパソコンのメールフレンドがいる。ショップガールのスクリーンネームをもつキャスリーンは、亡き母から受け継いだ街角の小さな絵本店の女主人である。一方のNY152は、全米にチェーン店をもつ書店の三代目ジョー。二人はそれぞれの恋人の目を盗むように、朝に夕にパソコンに向かう。そして、You've Got Mailの文字を待ちかねて、近況を知らせあう。互いに見ず知らずの二人なのに、パソコンの前では胸がときめき、思っていることがなんでも話せるのだ。 ところがこの二人、実はニューヨークの同じ地区に住んでいた。しかもジョーは新しい店舗を、キャスリーンの店のすぐそばに開いてしまったのである。こうして、二人はライバル同士として顔を合わせることになった。そしてある夜、ジョーはショップガールがキャスリーンであることを知る。 キャスリーンは、天敵が現れたことをNY152に訴える。最後まで戦い抜け、とジョーはショップガールにはっぱをかける。そして、こんなに気があうのだから一度会おうということになり、二人は約束のティールームへ急ぐ。先に着いたキャスリーンは、たとえ相手が醜男でも、あんなに優しい人だからと思っている。しかしジョーは、やっぱり美人がよいと思うから、窓越しに相手を確かめた。と、そこにはなんと絵本屋の、あの気の強い娘キャスリーンが座っているではないか。そこでジョーはこのことを隠したまま、キャスリーンにも、ショップガールにも対応することにした――。 一体、ジョーはいつ、本当のことをいうのか。二人はどうやって、このすれ違いを解決し、どこで、どんなふうに恋の結末をつけるのか。観客は映画の進行を、お手並み拝見という形で見守ることになる。 女性監督ノーラ・エフロンと脚本のデリア・エフロン姉妹、そしてメグ・ライアンとトム・ハンクス。1993年のヒット映画「めぐり逢えたら」のチームである。「めぐり逢えたら」は往年の大メロドラマ「めぐり逢い」をモチーフにしていた。「めぐり逢い」が好きで、何度も何度もみては泣いているアニーと、妻を失った子持ちのサムがラジオ番組を通して知りあう。こちらの映画では女性のほうが、男性の顔をすでに知っているという設定で、二人の間には3000マイルの距離があった。そして最後にエンパイヤステートビルのてっぺんでようやくめぐり逢う。片や近すぎる所に住む二人、二つの映画は何かと対照的な背景を用意しながら、「ユー・ガット・メール」の中で、テレビは我慢できないけれど、ラジオなら許せるなどという台詞をいわせたりして、「めぐり逢い」から「めぐり逢えたら」へ、そして「ユー・ガット・メール」へとつないでゆくエフロン監督の腕の見せどころである。 「めぐり逢えたら」から6年たったけれど、相変わらずチャーミングなメグ・ライアン。だが、トム・ハンクスは中年おじさんの域に達しつつあって、ロマンチックな二枚目役はもう無理かもしれないと思わせたりする。 私が好きなシーンは、閉店に追いこまれたキャスリーンが、すっかり片付けをすませ、電気を消して最後にもう一度店の中を見まわす。すると幼い頃の自分と母が踊っているところだ。その幸せな想いを私も共有する。そして、女性がつくる映画は、いつも母と娘のシーンがどうしてこんなによいのだろうと、胸がジーンとするのだ。 キャスリーンとジョーはついにめぐり逢った。リバーサイド公園の花壇の前で。あなたでよかった、とキャスリーンはいい、「虹の彼方に」の音楽が高らかにひびく。この映画は選曲がすばらしい。ほかにも「ドリーム」や「リメンバー」などが効果的に流れて、見る人それぞれの思い出としみじみ重なりあう。そんなアメリカの懐しい文化と、パソコンというもっとも現代的な媒体とがうまく組み合わされて、この、時代がつくりあげた映画「ユー・ガット・メール」を、私はインターネットで紹介している次第である。
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