2015年(平成27年)3月1日号

No.637

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安全地帯(457)

信濃 太郎


加藤陽子著「それでも日本人は戦争を選んだ」に感あり


  加藤陽子著「それでも日本人は戦争を選んだ」を読む。中国の駐米大使であった胡適の「日本切腹、中国介錯論」、「無産階級と国防問題」で日米戦うべからずと説いた水野広徳大佐(海兵26期・日露戦争に出征)の論文などが紹介されており読んでもよい本だと思う。読後感想は「勝てない戦争はやるべきものではない」である。今の日本はどのような難題を吹っ掛けられても隠忍自重、戦争をやってはいけない。集団的自衛権の法制化が論議されているが、今の日本では核武装をしている、どの国と戦争しても残念ながら負ける。だからこそ日米同盟も必要だし他の諸国とも協調して事に当たる必要がある。

 著書の中でいささか疑問に思った点を述べたい。加藤さんは「太平洋戦争」の言葉を使う。この言葉は戦後、アメリカが日本政府に指令、使わせたものである。日本政府は「大東亜戦争」と言った(昭和16年12月12日閣議で決定)それを占領軍は昭和20年12月15日「神道指令」を出して、大東亜戦争、八紘一宇など国家神道、軍国主義、国家主義に緊密に関連する言葉の使用を公文書では禁止した。新聞にはこれより先9月10日と9月19日に新聞規約(プレスコード)が出され、「大東亜戦争」「大東亜共栄圏」「八紘一宇」「英霊」の使用を避けるよう指令された。12月8日新聞各紙がGHQの民間情報局作成の『太平洋戦争史―真実なき軍国日本の崩壊』を掲載した。昭和16年12月8日に出された「米国及英国ニ対スル宣戦ノ詔書」も「太平洋戦争宣戦の詔書」を書き改まっている。

 またフランスの思想家・ルソー(1712年〜1778年)が論文で「戦争は敵対する国家の憲法に対する攻撃、と言う形をとる」とのべたことを取り上げている。米国が戦後いち早く日本の憲法の改正したことを18世紀に早くもルソーはお見通しであったと指摘する。だが、これは明らかに国際法違反である。文明国の戦争法規の基本法と言うべき「陸戦の法規慣例に関する条約」(1907年=明治40年締結)には「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は,占領者は絶対的に支障なき限り、占領地の現行法律を尊重してなるべく公共の秩序および生活を回復確保するため、施し得べき一切の手段を尽くすべし」とある。つまり占領行政を進めるうえで必要な規則は作っても国の根幹にかかわる法律の制定は駄目だということである。「現行法律の尊重」とはそういう意味である。また、ルソーの論文には先例がある。紀元前219年から紀元前201年に行われたローマとカルタゴの戦いである。「第二次ポエニ戦争」といった。勝ったローマはカルタゴに軍備保有も許さず、軍船の建造,戦象の育成、戦争も禁止した。。

 古今東西、勝てば官軍である。何でもできる。戦争には負けるものではない。歴史は弱い国では平和が保たれないことを示している。戦いを欲しなくても他国が攻めてくる。平和は金では買えない。強い軍隊を持たないと他国から侮られる。国民に国を守るという気概を持たせねばならない。大東亜戦争の教訓は中国とは不戦を守り、米国とはその同盟を堅持せよということである。だとすれば100年先、日本の学者の誰かが「それでも日本人は『戦争』を避けた」と言う本を書くかもしれない。