山梨勝之進海軍大将(海兵25期)は日露戦争に海軍大尉として従軍、ロンドン海軍軍縮会議時は海軍次官として軍縮推進の条約派として活躍された。そのあとは閑職に追いやられた。大東亜戦争時、学習院の院長であった。戦後の昭和32年から39年まで年齢言えば82歳から89歳まで海上自衛隊幹部学校で講義された。それが『山梨大将講話集』海上自衛隊幹部学校編として残されている。その一部を毎日新聞から出版された「歴史と名将」(昭和56年10月30日刊)で読んだ。その中で中国の曾国藩の「用兵は道徳を基本とする」という言葉を引用して「千古兵を知る」について語っておられる。曾国藩は(1811年から1872年)中国清代末期の軍人・政治家、太平天国の乱鎮圧に功績があった人である。「千古兵を知る」というのは、戦の仕方やそういうテクニックを言うのではなくて、戦いは凶器だ、やるべきものではない。戦というものは、やむをえずして、やるんだ。そこで、その戦というものは、どういう場合にすべきもので、どういう場合にやむべきものか、どこまでやるべきものであるか、そしてまた、ついてゆく国民、兵を率いる将軍の心ばえは、どうあるべきものだ、そういう点を曾国藩は説いている。曾国藩の兵学は修身,道徳から発している。用兵、戦略、戦術は必要だがご本人の精神状態の方が必要で、それを修練、鍛錬修養して鍛えておく方がさらに重要であるという。終戦時、自決した陸相阿南惟幾大将(陸士18期)は「判断に迷った時は道徳をとれ」といましめたのもこの考え方と同じであろう。
いま議論が沸騰している「集団的自衛権容認」論者の考え方の中に「千古兵を知る」の思想があることを知るべきででる。戦後、日本の生きるべき道は平和な戦争をしない国造りである。外交手段であくまでも戦争を避ける最大限の努力をすべきである。戦争は最後の最後であり、判断に迷った時は「道徳」をとるのである。国連に加盟し国際協力・国際協調の下で平和を築いていくうえで日本も平和維持軍、多国籍軍の一員にならざるを得ない。また石油を中東に頼っている限りシーレンを守らねばならない。一国で平和を守れる時代でもない。日米同盟があればこそ69年間も平和を守ってこられた。「集団的自衛権」は日本固有の権利である。これを日本の国益にあった解釈をして国を守るのは当然である。「武力拡大」ではなく「抑止力拡大」である。
山梨大将去って46年(昭和42年12月17日死去・享年90歳)。山梨大将はワシントン軍縮会議(大正10年11月・全権加藤友三郎大将・海兵7期)では専門委員会の委員長が加藤寛治大将(当時中将・海兵18期)の下で副長を務めた。ロンドン軍縮会議では全権が財部彪大将(海兵15期)で浜口雄幸首相の時、海軍次官であった。軍縮で幾多の苦難をなめられた方である。地域紛争はともかく、今は核兵器廃絶、武力を以て国家政策実行の後ろ盾にしないという趨勢にあるが、今なお「一国が海上に勢力を持たなければその国は発展しない」というマハンの「海上権力史論」を信奉し海上覇権を目指している国が存在する。今は亡き山梨勝之進大将にぜひともご意見を聞きたいものである。
(柳 路夫)
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