安全地帯(435)
−湘南 次郎−
「超高速参勤交代」を観て
先日、表題の映画を鑑賞した。あまり肩の張らない時代劇コメディ映画であったが、小生の興味を持ったのは、ちょっと違うことであった。かつて銀座一丁目新聞に投稿した「フラガール」にも関連したことと、主人公の内藤家の殿様のことであった。
まず、映画のあらすじは享保20年(1715)徳川吉宗の将軍のころのこと。磐城(いわき)の湯長谷(ゆながや)藩(現在福島県浜通り常磐湯本辺)という1万5千石の小藩、藩主内藤政醇(まさみつ)が1年の勤務を終えて江戸より帰国した。ところが、休む間もなく江戸の家老が慌てて「5日のうちに再び参勤交代して江戸へ出府せよ」との老中松平信祝の書状を持って来る。普通10日間をかけての道中なのである。老中の魂胆は同藩の白水村の金山を手に入れようと無理難題を吹きかけ取り潰そうと企んだのである。ときの同藩は金も使い果たし窮乏していた。藩中は大騒ぎ「幕府に直訴」「賄賂で許しを」とか議論が出たが、藩主内藤は決然として家臣と領民を守るため受けて立つ。藩内一の知恵者家老の相馬兼嗣に意見を求めた。相馬は、7名の少人数で山中、間道の早道を利用し、役人の監視のあるところは日雇い中間(ちゅうげん)を雇い、大名行列に仮装し、それに道案内に一匹狼の忍び雲隠段蔵というのが加勢に入り、面白くなる。老中は藩主が出立したのを知り、忍び、暗殺者を差し向け各所で妨害行為に出る。選ばれた家臣は昼夜兼行ふんどし姿でエッサエッサの掛け声かけて走る。重さを軽くするため刀は竹光だ。それでも一騎当千の武士、何度も危機を脱して江戸へたどり着く。磐城武士の面目躍如、特に藩主の「居合」で悪人を斬るのは見事。彼だけは竹光ではなかった。
そして、白水村で金が出るのはまがい物であって本物は出ぬことも藩主が証明、老中は失格で大団円となる。全編ことばはいわきの地方弁である。
時移り昭和19年(1944)小生の薫陶を受けた陸軍士官学校第59期生の受け持ちの教官(区隊長といって約40名を昼夜指導する)・第54期生鈴木正夫大尉(あだなはガラ正)は奇しくも映画の湯長谷藩内、小名浜出身であった。常に座右の銘として「破天荒の実行力」を掲げ、教室へ、演習場へ、行軍(装具30キロぐらいを担ぐ)などもつねに駆け足である。夕食がほかの区隊はとっくに終わっているのに、わが区隊は温かいのを食べたことがない。ボヤボヤしていればぶんなぐられる。強い軍隊を造るためと諦めて只々シボラレ通しだった。人情は厚いが、土地柄、言葉は荒っぽくズウズウ弁でカッペー、ものすごい士官学校一の猛訓練をした教官であった。しかし、ガラ正は戦後、苦学力行、東大を出て、故郷の常磐炭鉱へ入り、労務畑で大活躍をした。しかし、時代の波とともに石炭産業は衰退したが、敢然として湧き出る温泉に着目し、広大な採炭のかすを積み上げるズリ(ボタ)山用地に、今まで石炭を掘るときふんだんに出て海に捨てていた温泉を利用し、ハワイアンセンター(現在スパリゾートハワイアンズ)を設立し、従業員を職場替えで一人の解雇者もない企画をする快挙を成し遂げた伝説の人物になった。破天荒の過労が祟ったのか、親会社常磐興産の社長になったが平成6年8月3日鬼籍に入られた。スパリゾートハワイアンズも3.11の大地震にもめげず、大修理中、踊り子は全国行脚の破天荒の大活躍だった。ときあたかも新聞紙上「フラガール誕生50周年」を報じていた。読者諸氏もなんとなく「いわき」の気風がおわかりになったのではないだろうか?
金が出るという風聞のあった白水村(いわき市内郷白水町)には、現在整備された境内に平安時代の方三間の「国宝白水阿弥陀堂」があり、中尊寺様式の影響を受け、堂内の仏像も国の重要文化財、堂の南には浄土庭園が広がる。東北藤原文化を知るのに一見の価値がある。
小生在住の鎌倉の材木座には石庭、日本庭園をタダで拝観できる関東浄土宗大本山光明寺があるが、その一隅にかつての大名内藤家一族の壮大な墓地があり、高さ3mにもおよぶ宝篋印塔が50数基ズラリと並んでいる。フィクションであろうが、奥の方には映画の主人公内藤政醇(不退院従五位下 乗誉風航致山大居士 寛保元年(1741)九月初五日)も眠っている。
(参考文献)日本家系-系図大辞典 奥富孝之著 東京出版
鎌倉史跡事典 奥富孝之著 福島県の歴史散歩 山川出版社
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国宝白水阿弥陀堂(いわき市) |
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内藤家墓地(鎌倉市光明寺) |
(筆者撮影)
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