親しい知人の死は突然にやってくる。渡辺淳一さんは4月30日死去された。享年80歳であった。毎年3月に開く日本・アイスランド協会の総会に必ず出席する渡辺さんが今年3月8日の総会に欠席された。体調が悪いのかと案じてはいた。渡辺さんは平成3年10月14日できた日本・アイスランド協会の初代会長であった。著名な作家が外国との友好を図る協会に会長に就任するのは異例である。これにはわけがある。平成2年11月15日スポニチ主催でアイスランド・フエアを東京で開いたあと、アイスランドを訪問した際、ヴイグディス大統領から友好協会の設立を頼まれた。日本からアイスランドには機械、自動車などが輸出されアイスランドから毛織物や水産物が輸入されている。会長は当然財界人が良いであろうと考え、しかるべき人を介してある財界人に会長就任をお願いした。あっさり断られた。他の財界人を頼んでもダメであろうと思った。この時天の啓示であろう。渡辺純一さんの名前が浮かんだ。渡辺さんは昭和56年頃毎日新聞に「ひとひらの雪」を連載され読者を獲得するのに役立ったこともある。また乃木希典と夫人を描いた「静寂の声」(文芸春秋刊・昭和63年4月)が心に残っていた。そこで当時スポニチの総合推進本部長の脇田巧彦君に渡辺さんの交渉を任せた。心よく会長を引き受けていただいた。
渡辺さんは当時の心境を週刊誌のエッセイに書いておられる(1991年12月14日号週刊現代『風のように』)。「アイスランドはヴァイキングが移住した最北の地で、古い北ゲルマン人の神話や英雄伝説が豊富で民族叙事詩や「サガ」と呼ばれる散文物語など世界文学史の宝庫とも言われている。要するに文化交流が主ということで、それなら少しはお役にたてるかもしれないと思ってお引受けすることになったのである」
渡辺会長は大成功であった。協会の個人会員には女性の会員が激増した。総会ごとの会長挨拶は杓子定規のものではなく当意即妙であった。渡辺さんは挨拶の中で女性の心理を語り、男のエゴを突き、時には鈍感力を説いた。会長職は16年間務められた。
本音を言えば私の頭の中には「スポニチの部数が200万部になったら渡辺さんに新聞小説を書いていただこうかな…」という思いがあった。それもかなわぬに夢となった。
渡辺さんから多くのことを学んだ。「作家はペンというメスを持った解剖学者」「私が書くのは男女小説」「書くことは格闘することだ。連載が終わると4,5キロ体重が落ちる」・・・今後手元にある渡辺さんの本を読み返してみよう。さらに新しい発見があるであろう。心からご冥福をお祈りする。
(柳 路夫)
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