安全地帯(425)
−信濃 太郎−
スポニチ登山学校同窓会
スポニチ登山学校の同窓会に出席した(3月25日・東京池袋の中華料理店)。この登山学校が出来たのが平成8年1月、私は名誉校長であった。1期生は81名、それから12期生まで449名の卒業生を出した。平成20年に閉校して6年になる。3つの校則のもと座学・山行と3年間鍛えられた生徒たち、留年者も出た。そこから幾多の有名無名の人々を輩出する。この日、集まったのは31人。幹事役は5期生の鈴木次郎さん。幹事役は大変であったと思う。感謝する。
3つの校則のうち私が大事にしたのは3番目の「常に情誼のあつい人間たれ」でった。山行を通じてこのことが生徒たちによく理解できたのはうれしい事であった。私は今なお登山学校の学生証を名刺入れに持っている。いつまでも私の若い顔写真が貼ってある。学生番号は95001。血液はB型である。今後とも生徒たちとの絆は大切にしてゆきたい。
真っ先に挨拶を求められた。その中で登山学校の座学で多くのことを学んだ話をした。「事故と弁当は自分持ち」「山か機嫌の良いときに登らせていただく。自然は防ぎきれない」「山はすべて平等。山は無理しないで長く付き合おう」この山の基本原則はすべて人生の基本原則だ。登山学校でこのことを学んだのは私が70歳の時。それから18年。毎日新聞に入った同期生10名が3年前、私を除いて全員あの世に行った。88歳の今、ボケずに元気でいられるのは基本に忠実だからだと思う。
山男と山女の話は尽きない。酒がまわるほどにますます饒舌になる。八木原圀明元校長は夢枕獏さんの小説「神々の山嶺」の映画化のため登山隊の体長として間もなくヒマラヤに行くという。八木原さんは探検家植村直樹物語にも映画出演をしている。山からマラソンへ転向したという4期生の斉藤金也さん(66)、今年の東京マラソンに出場、5時間余の記録で走ったという。7期生の尾崎孝子さん東京都美術館で「世紀の日本画展」を見てきたばかりだという。すでに見てきた私と話が弾む。尾崎さんは自らも絵筆取って絵を描いており、時には芸大の先生を招いて絵画教室のボランタリ―活動をしているそうだ。
尾形好雄校長が意外な話をする。3期生の小島悠子さんが昨年11月5日がんで亡くなった。享年74歳であった。その姉さんから手紙が来た。それによると、遺品を整理していたらスポニチ登山学校での楽しい思い出を書いたものがたくさん出てきた。登山学校が妹にとってかけがいないものになっていた。ありがとうございましたとあったという。3期生の卒業文集「サガルマータ」を見ると小島悠子さんは「山登りは人間が幸福になるための一つの道のような気がします。山を登りながら皆さんと信頼できる良い仲間意識が生まれ喜んでいます。そして私に生きる世界が広がりこれからの生き方の選択に大いに役に立ちます」とつづっている。彼女が死ぬ5年前の心境である。登山の効用を余すところなく語っている。なお今後同窓会を年に一度開くことに決まった。
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