花ある風景(509)
並木 徹
中学校の最後の忘年会
中学時代の友達が88歳を迎えた今年、最後の忘年会を開いた(11月24日)。集まったのは8名(関西から1名参加)。場所は東京・新橋の中国料理「新橋亭」。あらかじめ火鍋子(ほうこうず・寄せ鍋)を注文しておいた。子供の時代大連でよく食べた中国料理であった。昭和18年3月、大連2中を卒業した私たちの同級生は228人いた。その同級生も残り30名を切った。つい最近も仲間の中心人物瀬川浩二君が亡くなった(9月13日)。話題の豊富な人物であった。みんなからその死を悼む声が聞かれた。戦後大連に進駐してきたソ連軍に技術留用されハバロフクス発電所建設に携わった彼の若き日の奮闘は一篇の小説になる。当日配布された「近況報告」に加藤繁次君(医師)は次のように書く。「瀬川君が逝去された由、驚きと悲しみを感ずるとともに急にわが身にも死が迫っていることを始めて気が付きました。彼の戦後、ウズベキスタンのご苦労や、その後のご苦労、亡くなった山崎豊子女史が聞いたら素晴らしい小説が出来たのではないかと思います」。加藤君は最近、ゴルフをやり、62,47で回り優勝し、ホールインワン(距離120m・アイアン8番)も成し遂げたという。思いかけず散財させられたとこぼす。
火鍋子は美味しかった。団子、エビ、貝、野菜。とりわけスープの味が良かった。小学生時代の話,恩師の想い出など次々に話題に上る。尖閣列島問題、さらに尖閣上空を中国の防空識別圏に組み込むなど中国とのごたごたに友人の一人は「大連がだんだん遠くなってきた」と述懐する。
関西から参加した宇治原淑隆君(貿易・現役)は「近況報告」にいう。「海外旅行をドクターストップで断念したので時間が出来た、手じかな本を読んでいたら『麒麟は千里を飛べども、老いぬれば駑馬にもおとれり』(平家物語)の寸言に接し、しばし呆然として、そこで2中の負けじ魂を発揮すべきと考え直した次第。貝原益軒の養生訓を読み、今後を明るく過ごすべしと考えております。『老後一日楽しまずして、むなしく過ごすは惜しむべし。老後の一日、千金に当たるべし』」なお関西の忘年会は11月19日にあったが参加者は3名であったという。
私たちの会が今日まで続けてこられたのは紺野浩一君と平原千之助君が世話人として会誌の発行、連絡、場所の設定などに尽力してきたからである。この雑事を黙々としてやる人間が極めて少ない。私としては友人と一堂に会するのは楽しいし、生きる上に刺激も与えられる。「来年もこの会を続けたらどうか」と私が提案した。全員賛同した。だが来年は・・・
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