2013年(平成25年)9月1日号

No.584

銀座一丁目新聞

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安全地帯(404)

信濃 太郎


福沢諭吉の女性論を聞く


 夏のある日曜日、藤沢市善行の公民館で開かれた「善行雑学大学」に出かけた(8月18日)。講師は慶応大学教授西沢直子さん。テーマは「福沢諭吉の女性論・家族論」であった。
 福沢が明治3年(1870年)「男といい女といい、等しく天地間の一人にて軽重の別あるべき理なし」と説く。それから143年、日本の女性の地位はあまり上がっていない。家庭では実権を握っている女性が少なくない。実に見事に家事を裁き、亭主を顎で使う。何故それが社会で生かされないのか、社会的に人間の意識の変革は難しいということであろうか。ちなみに2012年ジェンダーギャップ指数は日本101位、韓国108位、中国69位となっている。1位はアイスランドである。

 明治期、女性の地位向上に力を尽くしたのは北海道開拓使次官黒田清隆であった。北海道開拓のために優れた女性が欠かせないと判断、開拓使の予算で5人の少女を米国へ留学させた。そのうちの一人が津田英学塾(津田塾女子大)の創始者なった津田梅子である。東京に女子師範学校が明治7年3月に開校する。女医第一号荻野銀子が医術開業試験に合格して下谷で開業するのは明治17年9月である。これ以後地方にも女医が開業する。

 福沢諭吉は「人の苦楽唯責任によって生ずる。権は財によって生じ財は権の源」という。女性の経済的自立を求める。

 雑学大学へ行く前日、NHKのテレビで国連の難民高等弁務官であった緒方貞子さんの活躍ぶりを紹介するドラマを見た(8月17日)。男以上の抜群の働きに感心した。難民の声に耳を傾け、一人でも多くの命を救うために、前例にとらわれない決断を次々と下す。ルールよりも難民の命を救うことが大事だと行動を起こす。想定外に起きた事案を次々に対処する。これは男でもできない。人道支援の歴史を変えたとも言われるのはもっともだ。彼女はどこへ持っていても立派な業績を上げる得る稀有の人だと思う。福沢諭吉が明治18年6月「日本婦人論後編」で「男子の為す業にて女子に叶わざるものなし。男子の口にも婦人の口にも芥子は辛くして砂糖は甘し」と書いた。それがやっと地についたということであろうか。