2013年(平成25年)8月20日号

No.583

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

追悼録(499)

政治評論家三宅久之さんを偲ぶ

 

 毎日新聞の友人と話しているうち政治部にいた政治評論家三宅久之さんの話になった(2012年11月15日死去・享年82歳)。そういえば、彼が出演していたテレビ朝日の「ビートたけしのTVタックル」の番組をいつしか見なくなってしまった。この番組では三宅さんが政治情勢について詳しく、昔の政治の出来事をよく覚えているのに感心した。慰安婦問題、政治家の靖国神社参拝、集団自衛権の問題でもほぼ私とほぼ同じ意見で、思ったこともづけづけ言うのも気持ちよかった。

 私が編集局長時代、三宅さんは特別報道部の部長であった。一つ覚えているのは小佐野賢治が経営する殖産住宅をめぐる土地買収問題で特別報道部が「不正の疑いがある」と報道したため同社が出すはずの1000万円の広告がストップを食らったことがあった。広告局から泣きつかれたがどうにもならなかった。記事掲載か広告優先か、新聞社ではよく起きる問題だ。内輪の話では彼が出した「三宅久之が書けなかった特ダネ」(青春出版社)に面白いエピソードがのっている。後に名コラミニストといわれたA記者の政治部時代の失敗談である。昭和36年7月、池田勇人首相は内閣改造を表明。佐藤栄作の入閣の噂がしきりであった。佐藤派担当のA記者が直接、佐藤に入閣を問いただした。佐藤は「君もくどいな、入らんといったら、入らんのだ」と怒鳴りつけた。そこで毎日新聞は「佐藤入閣せず」と報じた。ところが佐藤は通産相で入閣した。怒り心頭のA記者が佐藤家に乗り込んだところ、佐藤は「A君、どうしたんだ、君の所だけ読み違えたね」。A記者は政治部長に「こんな政治家相手の取材は私には耐えられません、転部させてください」と申し出て学芸部に移った。そこがA記者の才能を伸ばす職場であった。

 昭和51年特別報道部長を最後に政治評論に道に進まれた。よく色紙に「愛妻、納税、墓参り」と書くように愛妻家は有名な話である。その奥さんから「ご飯を食べるのが早すぎる。作った身にもなってよ」と文句を言われるそうだ。私も同じ文句をしばしば女房から言われる。女房族は仕事のできる男は食事が早いということを知らないようである。心からご冥福をお祈りする。


(柳 路夫)