2013年(平成25年)8月1日号

No.581

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花ある風景(499)

 

並木 徹

 

映画『爆心 長崎の空』に感あり
 

 日向寺太郎監督・映画『爆心 長崎の空」を見る(7月13日・東京神田神保町・岩波ホール)。「爆心」とは、広辞苑には「爆撃・爆発の中心」とあり、用例として「爆心地」をあげる。映画のシーンには原爆の生々しい写真はりあま使われていなかった。逆に被爆2世、3世を出すことによって悲劇のより根深さを表現する。当時「爆地心」長崎の状況は悲惨であった。原爆が投下されたのは昭和20年8月9日午前11時02分。映画にもこの時刻を差す柱時計が再三登場する。一発の原爆で人口24万人うち約14万9千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊する。

 「復元図わが街なぞる長崎忌」(古賀康江)

 映画の主人公は長崎大学3年生の門田清水(北乃きい)と5歳の一人娘を失った高森砂織(稲盛いずみ)。母親と喧嘩したその夜、母親は心臓発作で死亡する。その時、清水は母親からの電話も無視し、「ごめんね」も言いそびれた。しかもその夜は恋人とホテルにいた。母の突然の死が彼女を暗闇に追い込む。砂織は娘の一周忌を前に娘が好きであった桜貝のでんでんむしの幻想に付きまとわれ、新しく授かった命をはぐくむかどうかでも悩む。その夫は小倉の人。8月9日朝、小倉の上空が晴れていたら長崎には原爆が落ちていたはずである。事あるごとに妻を慰める。

 爆心地から半径3キロ周辺で起きる様々な出来事。原爆症に傷つけられ、それぞれの過去に悩み、今を懸命に生きる。清水は東京へ去る恋人の医学生と別れ、あくまでも長崎にとどまり、バイク屋の青年と生きてゆくことを決心。砂織も覚悟を決めたようだ。戦後68年確実に母から娘へ、娘から母へ人間の営みと思いは繋がれてゆく。人間は運命に逆らい、運命に従って生きてゆく。間もなく戦後68年目の長崎原爆忌を迎える。

 「何事もなき夕べ来て長崎忌」(並川友子)