花ある風景(498)
並木 徹
インド独立と藤原岩市大佐
第2次大戦を私は「大東亜戦争」と呼ぶ。藤原岩市著「F機関」(バジリコ株式会社発行・2012年10月12日2刷)を読んでさらにその意を強くした。この著書には昭和17年2月16日、シンガポールが陥落した直後、同市ファラパークで捕虜となった5万のインド将兵の前で演説した藤原岩市少佐(陸士43期)の話が「ファラパーク・スピーチ」としてインド独立史に記録されているという。一国の独立の暦史の中に日本人の名前が記されるのは異例である。藤原少佐はどのような演説をされたのか。演説には1、日本の戦争目的の一つは東亜民族の解放にある2、日本はインドの独立達成を願望し、最大の同情を有し、その運動に対し誠意ある援助を供与する用意を有す。また日本はインドにたいし一切の野心なきことを誓言する3、シンガポール陥落はインド独立達成のための絶好の契機たるべしなどの要目が盛られた。
藤原少佐の活躍は素晴らしい。大東亜戦争開始直前インド工作の密命を帯びてタイ国に潜入、自由と友情と誠意をモットーとして、開戦と同時にインド兵俘虜工作を開始して俘虜や住民たちの心をつかみ、大きな成果を上げる。インド国民軍創設の基礎を作ったと称えられた。
敗戦後の1945年11月、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原少佐に対して主席弁護士のフラバイ・デサイさん(インド弁護士会会長・法学博士)が温かい挨拶で迎える。
「インドの独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。
インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である」
これは厳然たる事実である。もちろん日本軍が中国・シンガポールなどで無道・悪逆な行為をしている。本来の目的は東亜の解放であった。これを愚直に守った軍人が少なからずいたのだ。
なお藤原少佐は戦後、陸上自衛隊に入隊、陸将までになった。第1師団長(1964年3月16日から1965年7月15日)在任中、部隊を指揮して靖国神社に参拝する。新聞には出なかったが当時、部内では問題となった。今後このような師団長が出てくるのを望む。
「このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。
インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。
インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。」(1946年・デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原F機関長に対する挨拶、名越二荒之助『世界から見た大東亜戦争』展転社
|