2013年(平成25年)5月20日号

No.574

銀座一丁目新聞

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追悼録(490)

新聞記者に名文家あり

 

 6月号の月刊「文芸春秋」が「現代の名文入門」を特集、その中でドナルド・キーンさんと対談した徳岡孝夫君が「基本的には新聞記者に名文家はいません」といい、「一字一句で勝負している人間でなければ、文章は磨けない」といっている。徳岡君とは毎日新聞社会部(大阪)で一緒に仕事をした仲間である。名文家の彼がそういうのだから間違いないのであろう。

 もともと新聞文章には制約がある。一般読者を対象にするから意味が明確であること、記事は短く簡潔に書くなどが要求される。デスクからよく形容詞を使うな、もっとわかりやすく、具体的に書け、文章が長すぎると怒られた。新聞記者にも名文家がいる。昨今の状況から言えば「いた」というべきかもしれない。社会部の先輩福湯豊さんは戦前、昭和18年4月戦死された山本五十六元帥の国葬の記事で社長賞などをいただいた自他とも認める名文家であった。その福湯さんが「名文家になりたければ貯金をするな。貯金する金があれば遊べ。映画、音楽会、展覧会などに行け」といった。私はそれを忠実に守ったが名文家にもなれず、貯金も出来なかった。

 福湯さんとは一高・東大の後輩で整理部記者であった山埜井乙彦さんが同人誌「ゆうLUCKペン」(35集)で次のように書く。「福湯さんは名文記者として大きなイベントに特派され名をあげていた。ヘリシンキ・オリピンク(注・昭和27年7月19日から8月3日)のときも特派員になっていたがフィンランディアを作曲したシベリウスと会見し『震える手で乱れ書き』との原稿を送ってきた」。交響詩「フィンランディア」はフィンランド政府がこの曲を国民賛歌に推挙。国民の間で熱狂的で愛された曲であった。オリンッピク大会の競技そのもの記事ではなく作曲家に目をつけたのはさすがだと思う。ちなみにこのオリンッピクは戦後初めて日本が出場した大会であった。山埜井さんは福湯さんから聞いた文章のコツとして「@、センテンスを短くA、文体止めを使えB形容詞を使うな」を上げている。

 87歳になった今、名文家になりたければ「己を鍛えよ」とい言いたい。文章には自分が出るからである。昔から言うではないか「文は人なり」と。

 


(柳 路夫)