2013年(平成25年)5月10日号

No.573

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茶説

かかる日本女性がいた

   牧念人 悠々

 涙もろくなった。さる日鎌倉に遊んだあと、駅の売店で何気なく「かまくら春秋」(NO516)を買った。値段は290円。東京行電車の中で所在無くめくっていると、小桧山博の連載リレーエッセイー「こころにひかる物語 瞑想の向こう」にぶつかった。こんなことが書かれてあった。

 15歳の時工業高校へ進学した。寮生70人は自炊であった。みんな空腹であったので近くの農家からカボチャやジャガイモを盗んできて腹を満たした。それから50年後の66歳の時、地方で講演したあと会食の席で60歳ぐらいの女性が話しかけてきた。彼女は工業高校の寄宿舎の裏にあった農家の娘さんで当時13歳であった。父が野菜を盗むのが寄宿舎の工業高校生だと知って怒り狂い、校長先生と舎監に抗議に行くと家の玄関を出ようとした。その時母が「父さんやめなよ。あそこの子たち地方からきてて腹をすかしてるんだから仕方ないよ。父さん悔しいだろけれど、来年からよけいに作ればいいでしょ。盗んでもいいように」といった。父は何も言わずに家の中に戻ってきて座った。そして次の年からジャガイモもカボチャもたくさん作りだした。小桧山さんは喉の奥からうめきが漏れたという。

 読んでいて思わず涙が出てきた。日本にもこんな心の広い優しい母親がいた。中学生時代、4年間寄宿舎生活を送った私にも同じような思い出がある。このような農家のご夫婦はいまどこを探しても日本にはいない。

「かまくら春秋」4月号の表紙の詩(堀口すみれ子)には
 「本当に強い人間は
  勇気があって
  優しいものだと
  知っているよね」とあった。

 5月の連休は戸隠で過ごす。ここ10年は毎年のように此処に来ているが初めて朝と夕刻に暖炉に薪をいれた。そうしなければ寒くてどうにもならいのだ。聞けば最近の霜で出荷間近いアスパラガスがダメになってしまったという。バードライン沿いの戸隠地区の青空市場の売り場も野菜は品薄であった。このあたりのしだれ桜などは今が盛りで観光客が楽しむ姿が見られた。5月4日に戸隠中社にお参りに行く。境内には除雪の塊がまだ残っていた。祭神は天八思兼命(あめのやごこころおもいかねのみこと)。知恵の神様である。気持ちを入れて頭を下げる。今年の異常気象をいやというほど体感した連休であった。