2013年(平成25年)5月10日号

No.573

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花ある風景(491)

 

並木 徹

 

鎌倉の「能面二人展」に感あり
 


 鎌倉市で開かれた「能面二人展」を見る(4月26日・ギャラリー「やまご」)。スポニチ登山学校の3期生であった冨井広子さんが仲間の菊一房子さんとその作品をそれぞれ15点披露した。冨井さんの面打ち修業は19年に及ぶという。万事に不器用な私には只々感嘆するばかりであった。いずれの作品も見事な出来栄えであった。冨井さんにはそれぞれに思いがあるのであろうが二つの鬼の面に目が行く・・・

 3日前、佐久の温泉宿で友人の別所末一君と不破喜久夫君の謡曲「高砂」を聞き入ったばかりであった。「高砂」の翁の面は「小牛尉」(こうしじょう・もっとも小ぶりな老翁の面)と聞いた。冨井さんの作品名を見ると、「白式尉・三光尉」「中将・痩男」「小面・孫次郎・女増髪」「白般若・蛇」「悪尉癋見・大癋見」「顰・獅子口」「乙御前・大黒」となっている。富井さんの話によると1年に3,4面しか彫れない。材料は檜、師匠から頂く。鬼の面になると目や歯に金箔を塗って仕上げるという。舞台で使えるように面の後ろには結ぶ紐が添えられてある。ある本で「踊りの藤間勘十郎は横山大観など大家の筆になった扇子で踊るとそれだけ身に引き締まった」という話を読んだ。能役者も同じであろう。とすれば冨井さんの能の舞台を想い浮かべながら熱心に作業をしておられるのであろうか。

 能面の世界を少しさ迷ってみる。能面は250種類ほどある。「白式尉」とは翁の面。皺が描かれ、ふくよかな表情をしている。下顎が切り離してある切り顎。白式尉は翁のシテである。「三光尉」は庶民的な老人の面。世阿弥の「恋重荷」の前シテ・山科の荘司として登場する。「痩男」(やせおとこ)は恨みのこもった庶民の亡霊である。「小面」は可憐な娘の面。世阿弥の「清経」のツレ・清経の妻、前記の「恋重荷」ツレ・白河院の女御などそのほかの作品に数多く使われる。「孫次郎」は小面より少し年上の女性の面。案内の絵ハガキにはまことに柔和な「孫次郎」が描かれていた。「女増髪」は清澄な神女の面である。「白般若」は極めて強い嫉妬を表現した鬼のような女性の面。「蛇」(じゃ)は般若よりさらに嫉妬の度が強い面。耳がないのが特徴である。蛇は「道成寺」専用の面である。「悪尉癋見」(あくじょうべしみ)いかめしい形相の上、口角に力を入れ、唇を強く結んだ翁の面である。「大癋見」(おおべしみ)口をしっかと結んだ様相の面である。「顰」(しかみ)は顔をしかめた猛悪な相の鬼の面である。観世信光作「紅葉狩り」に登場する。平維茂が戸隠山で美女に化けて紅葉狩りする鬼女に巡り合い誘惑されるが退治する能舞台である。「獅子口」は口を開き、牙を出した険しい相の面である。『石橋』(しゃっきょう)に出てくる。寂昭法師が入唐して清涼山の聖域の石橋で足止めを食らい獅子舞を見るという話である。獅子の顔をした能面をつけた後ジテの豪壮な舞が見物だといわれている。「乙御前」は若い醜女の面である。

 これまで何度となく能楽を拝見した。あまり興味を掻き立てられなかった。冨井さんの15作品を見ているうちにその奥深さを知った。世阿弥が自作の「恋重荷」について「色ある桜に柳の乱れたるようにすべし」と批評したという。この美意識の凄さはなんとも言えない。梅原猛の「花やかな桜には柳のような風に舞う狂気が隠れている」の解釈にも驚いた(『梅原猛の授業 能を観る」(朝日新聞出版)。己のおろかさを今更のように恥じ入るばかりである。