1998年(平成10年)12月20日(旬刊)

No.61

銀座一丁目新聞

 

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ゴン太の日記帳 (26)

目黒 ゴン太

 母が、ホスピスに移ってから、初めて、わかったことがある。それは、ガン患者を抱える家族も、患者と共に病に立ち向かう、闘病者であることだ。この概念に会い、それまでどうしても可哀相だとか、何故、うちの母が等といった思いが、先行して、頭から離れなかったのが、共に闘う者としての意識が高まるに連れて、母自身が、その度、その際の置かれた状態、心境を、母の身になって考えようと考え始めることができた。そのおかげで残り少なかった時間を有意義に過ごせたのは以前にも述べた通りである。

 かくして、母は逝った。suisen.gif (32727 バイト)

 母は、最後まで、自分にとって母であった、それが故に、最後まで、身をもって様々なことを教えてくれた。世の中のこと、自分の将来のこと、教えられたことは数え切れない。その中でガンという今の日本にとって、とてもメジャーになった病気を通して、それを取り巻いている現在の状況に置ける問題、又、当事者としての心情、死を前にした人としての気持ちの持ち方等を、肌を通して学んだ。特に、ガンケアを取り巻く現状は、これだけ多くの人々のニーズが有るにも関らず、まだまだ、未熟すぎる点が多過ぎることを実感した。

 これからのガン大国日本が成せば成らぬことは、まず、ガン患者へのケアの充実はもちろんのこと、ホスピス的ケアの場の増設、又、その後、ホスピスでのケアから在宅ケアまでの移行を視野に入れた流れを、早急に自分達で動き始めてゆくべきである。それ位、重大であり、切羽詰まった状況にあると言える。又、いつ自らに振りかからぬとも言えない病気でもあり、決して、他人事ではないのだ。

 

 

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