花ある風景(476)
並木 徹
のぼうの城の主人の器量
映画「のぼうの城」の主人公成田長親に扮する野村萬斎が敵軍の前で演じた田楽踊りが秀逸であったので原作・和田竜著『のぼうの城』(小学舘文庫・平成24年10月28日第14版)を読んだ。『のぼうの城』とは武州忍城(埼玉県行田市)のこと。天正18年(1590年)天下をほぼ掌中にした豊臣秀吉が最後の戦を小田原の北条に仕掛け、北条の支城がことごとく落城したのに最後まで落ちなかった城である。しかも石田三成率いる2万に対して五百名で奮戦した。のぼうとは木偶の坊で事。長親につけられたあだ名である。百姓たちの畑作業を手伝い 一向に偉ぶった様子は見せない。それでいてみんなから好かれている。えらい人物は奥行きが深く時には馬鹿にも、くだらな男にも見えるものらしい。いろいろ考えさせられた。
当主氏長が成田家臣団の半数を引き連れた小田原城に加勢に出向いたがその時、既に関白に内通する手はずであった。忍城に関白の使者が来た。「降るなら城、所領共に安堵して使わそう」と傲慢にいう。さらに「姫を殿下に差し出せ」と要求する。すると長親が『腹は決めておらなんだがいま決めた」と、戦う事を決める。強者の侮蔑にへつらい顔で望むならそのものはすでに男ではない。敵は降るのに決まっておると高を括ってる。これに反発する男を勇者という。降伏を当然と思っていた家臣団があっけにとられる。友人の正木丹波守利英が「我慢せよ。今降れば所領も城も安堵される」といさめるが「武あるものが武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これが人の世か。ならばわしは嫌じゃ。わしだけは嫌じゃ」と答える。人間としての誇りを木偶の坊は持っていた。戦うことに反対していた百姓たちものぼう様が「戦う」と決めたと聞いて立ち上がる。忍城はいろいろな策略を用いて勝が最後に水攻めにあって形勢不利となる。そこで長親が編み出したのが敵前で舟の上での田楽踊りであった。2万を超す敵軍は人工堤の上で一斉に歓声の声を挙げる。忍城に使者としてきた男は踊りの主が長親と分かった。敵も味方も一体となり拍手喝采する。「あいつは死ぬ気だ」と気がついたのは城の姫であった。己が死ぬことによって兵どもの奮起をうながそうとしたのだ。大谷刑部少輔吉継だけが長親の「稀代の将器」を見抜いた。吉継のいさめも聞かず三成は狙撃の名手に長親を撃たせる。長親は城内へ担ぎ込まれる。城外に逃れていた百姓の一人が「のぼう様が死んだ」というので人工堤を決壊する。丹波は長親の狙いが城外の領民を突き動かすことにあったのを知る。丹波はのぼう様が名将だと悟る。著者は『名将とは、人に対する度外れた甘さを持ち、それに起因する巨大な人気を得、それでいながら陣地に及ばぬ悪謀を秘めた者ことを言うに出なかったのか」と解釈する。7月5日小田原城落城とともに忍城も敵に明け渡した。今の日本にはこのような名将が欲しい。
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