1998年(平成10年)12月10日(旬刊)

No.60

銀座一丁目新聞

 

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ゴン太の日記帳 (25)

目黒 ゴン太

 現状における病院におけるガン患者へのケアの限界、又、母の病状悪化という状態に伴い、自分を含めた家族も、当初から母が願っていたホスピスへの転院に賛成するようになった。そして母の友人を通じて、ホスピスに対し、入院希望を出して、10日程で、意外にもあっさりと、ホスピスへ移ることができた。意外にもとしたのは、通常は、希望を出してから、入れるまで、約2ヵ月程度かかるという。これにも様々な諸事情がからんでいるのであろうが、その2ヵ月という長期に渡って待たされる最大の理由と言えば、やはり、膨大な数の希望者に対して、ホスピスのキャパシティの小ささが起因していると考える。しかし、ホスピスの特性である個々の患者へ配慮のある、存分なケアを成すことを目指す場合の必然としてのキャパの小ささであるから、これは、仕方のないことに思う。それよりも、問題視すべきは、膨大な需要があるにも関わらず、今だに、身辺には、片手で数えられるぐらいしか存在していないホスピス自体の少なさではないか。これは、以前の自分のようなものを含めた社会が、あまりにも、ホスピス、いや、医療に対して理解がなく、無関心であるかが、現状を生み出していると言え、恥ずかしくなる思いである。

 幸運にも、母のケースは、病院での担当の医師と、母の友人とが、尽力を尽くしてくれたおかげで早急にホスピスに移れたのだ。

 果して、ホスピスに移った母は、それまでの病状悪化に伴って失いかけていた活力を、数日で取り戻した。これは、自分にとって、非常に驚いたことであった。今まで、自分は人が、環境が変わったことで、あれ程、変化したのは見たことなかったのだ。それは、母の言動、行動、表情等、一挙一投足により、はっきりとわかる変化であった。しかし、自分は、次第に、母の変化の理由に、一つずつ気付くことになる。まず、決定的に、病院とホスピスの異なる点を挙げるとすれば、ホスピスにおいては、患者がイニシアティブを、大半において握っていることであろう。生活のペース、行動、治療方針に至るまで、ほとんどが、患者の意見が尊重される。そして、スタッフは、できる限り、患者の希望に沿えるように、サポートする形を取っているにすぎない。母の入ったホスピスのパンフレットの表紙にある言葉

「ホスピスは

 あなた自身の選択で

 生きるところです」

 この言葉は、ホスピスの全てを表わしているのかもしれない。こうした理念のおかげで、他では、死を前にした病人として、半ば、人としてさえ扱われないような状況さえ体験しないとは言えない中においても、ハスピスでは、最後まで、人として、一人の意見を持つ人間として、生きるのだ。

 次に主立った違いを挙げるとすれば、患者の家族に対するケアを有している点であろう。ホスピスにおいては、もちろん、患者の意思を第一に考えるが、その家族も共に病気に立ち向かう者として考え、彼らの心理的な面へのサポートも、ケアの一部として把えており特に、患者の死後、ダメージを受けた家族への配慮を考えている点には、驚かされた。その様なケアの種を、それまで、全く知らなかった為である。

 何は共あれ、母と自分を含めた家族は、母のそう遠くない死を、自分達、それぞれの中で向き合って考えることができ、6ヵ月の間、静かに、何ものにも変え難い、家族の時を過ごせた。そこには、母の元気であった頃にもなかったような、とても落ち着いた時間のようにも思えた。

 

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