2012年(平成24年)7月10日号

No.544

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花ある風景(461)

 

並木 徹

 

 陸士の同期生の集いに感あり
 

 首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)に住む陸軍士官学校59期生の集いが開かれた(7月5日・グランドヒル市ヶ谷)。ご婦人を含めた130人を超える出席者があった。一同、楽しいひと時を過ごした。全国大会が2年ごとに開かれるのでその合間に『懇親会』が開かれる。最大のイベントは陸上自衛隊東部方面軍楽隊の演奏。昨年の全国大会にも出演した田村守三等陸佐指揮の音楽隊であった。11曲(アンコール曲も含まれる)が演奏された。矢部正忠陸曹長がソロで歌った「航空百日祭」にほろりとした。作詩は55期梅岡信明大尉。軽爆搭乗員から操縦に転じて昭和20年7月1日、仏印・カモー南方上で戦死している(八巻明彦著『軍歌歳時記』)。軍歌集『雄叫』には作詞は55期長峰勝彦中尉となっている。長峰中尉は昭和18年10月6日、中支‣遂川で戦死されている。55期の航空兵科の戦死者は419名にのぼる。作曲は55期生家弓正矢大尉で航空整備であった。「士気を鼓舞するだけの行進曲調でなく秘めた闘志と同期共学の場を去らんとする惜別の情をこめた」という。地上兵科の59期生の同期生も軍歌演習でもこの歌をよく歌った。「望めば遥か漂渺の/七洋すべて気と吞みて/悠々寄する雲海の/涯,玲瑯の芙蓉峰/ああ八紘に天翔ける/男子の誇りの高きかな」。

 荒木盛雄君が当日の模様を俳句にしてくれた。
  「白南風や同期最後の懇親会」
  「緑陰や軍楽隊の愛燦燦」
  「炎昼や軍歌連なる同期会」
  「攻撃の軍楽に飛ぶ熱中症」
  「熱中症跳ね飛ぶ軍楽攻撃曲」(アンコール曲が攻撃であった)
  「青春の高なる軍歌雲の峰」
  「抜刀隊の行進曲や峰雲に」

 会場で拾った“小さなちょっとしたいい話”を披露する。トイレで音楽隊員の一人が手を洗った際、水で洗面所が汚れたので何気なく紙でふき取ったのを同期生が目撃した。当たり前と言えば当たり前だがこのささやかな行動に自衛隊員のしつけの良さを見る。音楽隊の演奏の音の素晴らしさの秘密がわかったように気がした。音は素晴らしい心が紡ぎ出す・・・

 前橋が出てきた田浦浩君と国分りんさんのデユエット「昭和幻想」(作詞・田浦浩・作曲双葉あきら)は皆を感動させた。国分さんの声は美しくきれいであった。この日は勤めている会社の社長が亡くなり通夜が行われる日であった。社長秘書をしている彼女は何かと気ぜわしい中、悲しみを押さえて歌ってくれた。会場の誰もそのことを知らない。私さへあとで聞いた。「昭和幻想」は田浦君が昨年8月作詩、CDを出した。今年の1月、「デユエットで最後の全国大会で歌いたい。相手を探してくれ」と頼まれた。司会の西村博君は次のように紹介した。「国分リンさんは会社員・登山家・山の作家・三児の母である。スポニチ登山学校の7期生。山で仲間たちが歌を歌う時は国分さんが指揮棒を振るった。『銀座一丁目新聞』に2004年1月10日号から『山と私』のコラムで登山した山の話を書いている。会社務めをしながら土、日曜日を利用してあちらこちらの山を登って楽しんでいる。今年は北穂高岳(3106m)の他セブ島のオスメニカ山(1070m)にも登っている。また女性のガン体験者が造る登山クラブの登山のサポートをボランテアでしており、彼女らと一緒に雷電山(494m)に行っている。息子夫婦と二人の孫等と石老山(694m)にも登っている。何事にも積極的である。今回、田浦君とのデユエットも即座に承諾していただいた。出身は会津である」。二人のデユエットの練習は懇親会前夜が3回、当日が1回のみの合計4回に過ぎない。東京と前橋にそれぞれ住んでいるので仕方あるまい。国分さんはテープを何百回も聞いて歌を覚えて本番に備えたという。本番は見事なデュエットであった。

 「今にして昭和の幻想桐の花」(荒木盛雄君)

 スポニチに在任中、作った「スポニチ登山学校」がこんな形で役に立つとは驚きであった。ちなみにスポニチ登山学校の校則の一つ『常に情誼のあつい人間たれ』は陸軍予科士官学校牧野四郎校長の遺訓からとった。

 この日同期生夫人、準会員等女性25名が彩りを添えていただいた。橋本閑郎君(閉12年1月28日死去)の長女江部アヤコさんが準会員として出席。私のテーブルに姿を見せた。私が毎日新聞にいたころ大学を卒業、毎日新聞を受験されたことがあるという意外な話を聞く。橋本君に似た面影があった。同期生・夫人・準会員達の話は尽きなかった。あちらこちらに話の輪が咲いた。

 つい最近、2・26事件の凶弾に倒れた渡辺錠太郎教育総監の二女の渡辺和子さんの著書『置かれた場所で咲きなさい』を読んだ。その中に「毎日を“私の一番若い日”として輝いて生きよう」と言う言葉があった。今日より若くなる日はない。確かに明日には365分の一日年をとる。今日が私の一番若い日だ。昔教わった『少年老い易く学成り難し』と同じである。老人向きの表現である。何か新しいことにチャレンジしていつも輝いていようということである。無為に過ごすことの多い昨今、大いに反省をした。私には書くほか能がない。「生涯ジャーナリスト」として新しい視点からものを書くよう心掛けようと覚悟を新たにした。この懇親会も己を磨く場である。さまざまのことが頭をめぐっていった。今日は『私の一番若い日』であった。