2012年(平成24年)1月20日号

No.527

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花ある風景(443)

 

並木 徹

 

 柳家さん喬の「井戸の茶碗」を聞く
 

 夜、知人の田中裕子さんからFAXが入った。「NHKの教育テレビで午後9時30分から柳家さん喬の『井戸の茶碗』があります」(1月13日)。このような心遣いは嬉しい。ちょうど9時からのニュースを見ていたので早速切りかえる。さん喬と言えば昨年10月15日有楽町の朝日ホールで彼の落語を聞いたばかりである。 演題は「鴻池の犬」であった。3匹の捨て子の犬の物語。さん喬は犬の鳴き声、腹をすかした様子、御馳走を食べる時のしぐさを演じる。まことに絶妙であった。本誌に「年とともにその芸が深くなるのを予感させる」と書いた(昨年10月20日号)。

 30分間、さん喬の落語を堪能した。もちろん寄席で聞く方が良いのはいうまでもないが、「正直者の頭に神宿る」である。実はこの「井戸の茶碗」を昨年1月4日、前進座のお芝居で見ている。2年連続で1月に正直ものの落語、お芝居を見たことになる。 台本・演出・鈴木幹二「くず〜い屑屋でござい」―古典落語「井戸の茶碗」より―であった。紙屑屋を中心にして貧乏な母娘(さん喬の落語では父と娘)、武士、それに中に立つ大家さんをめぐる人情物語である。“正直”が人々の心をほんわりと明るくする。見終わって気分が爽快であった。この愚直さ、日本にはすでになくなってしまっているような気がすると本誌(昨年1月10日号)に感想を述べた。その際「初芝居 真正直さを 貫ぬけり」(悠々)と詠んだ。

 落語に興味を持ったのは間の取り方に惚れたからである。せき込んでしゃべりがちな私には参考になる。それにはいくつかの小話(エピソード)をあらかじめ用意しておいて、折を見て途中で話に加えると間ができると知った。落語はそのほかにも効用はある。まあ、難しく考えず楽しめば良いであろう。

 「初落語その愚直さ嬉しけり」 悠々