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ゴン太の日記帳 (23)
目黒 ゴン太 今回から、4回に分けて、少し終末期医療(ターミナルケア)について、書いてゆこうと思う。“ターミナルケア”。この言葉を前にしてピンとくる人、又は、全く何のことやらさっぱりの人、様々であると思う。自分は、つい1年前までは、後者であった。しかし、先日、四十九歳の若さで他界した、自分の母が昨年の夏頃、進行ガンと診断され、その際の母や周囲の人々の話の中で、初めて、その終末期医療(ターミナルケア)の存在を知る。 ターミナルケアとは、今や日本人口の三分の一の人々の死因とされるガンや、その他の病気等を患い、余生が短いとされる人々に施されるべき治療である。そして、「生と死を考える会」の会長でもある上智大学A・デーケン教授によれば、このケアには、肉体的な面のみならず、心理的、社会的、文化的な側面の延命を図ろうとするものとしている。[A・デーケン、飯塚:84] 自分の母は、ガンと診断された直後に、家族と共に、ガン告知というインフォームドコンセント(病状説明と治療方針への同意)の一つに含まれるものを受けた。そして、彼女は、自分や自分の姉の動揺をよそに、自らが受ける治療について、自らの判断で決めていった。それは、例えば、放射線治療までは受けるものの、抗ガン剤投与は拒否するといった類のものである。当然のように、母の主治医は、抗ガン剤投与の意義を熱心に説き、何とかその方法で、母の延命の可能性を探ろうとしたが、母は断固として聞かなかった。自分は、当初、母のそういった選択が、全く理解できずにいたのを、よく覚えている。何故、医療のプロの言うことを聞かず、自らの命を延ばす努力を怠るのか、という気持があった。しかし、母は、自分のそういう意に反して、日が経つにつれ、自らの最期を迎える場として、“ホスピス”でのケアを望みはじめるのだ。当然、自分には、その時には理解し難いもので、それらの母の選択が、A・デーケン氏の言うインフォームド・チョイス(患者の自己決定権)に基づく、当たり前の権利であることに気づくには、だいぶ後のこととなった。 参考文献A・デーケン、飯塚真之編「新しい死の文化をめざして」(春秋社 1995)
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