安全地帯(334)
−信濃 太郎−
同期生CD「昭和幻想」を出す
同期生・田浦浩君がCD「昭和幻想」(作詞、田浦浩・作曲、双葉あきら・歌、高嶺はるか)を出した。85歳になるも青春を楽しんでいるのに感心する。
「山脈(やまなみ)は遠く輝き/ふるさとの 清き山河よ/われを支えし君の/瞳うるわし/ああ霧の向こうに咲く花ひとつ/白い花」(1番)
田浦君(前橋在住)とは今年1月、東京で開かれた陸士59期生の全国幹事会で初めて知り合った。席上彼は発言した。その中で「士官候補生の矜持について」語った。私は幹事会が終わった後、彼に戦後どうのような思いで仕事をし、社会に尽したか、雑誌『偕行』に書いてほしいと頼んだ。原稿は「士官候補生(武士・さむらい)教師になるの記」と題して6月号に掲載された。そこには士官候補生の矜持を忘れず、不屈の意地を通した教師像が描かれていた。戦後、法務省に3年勤めた後夜間高校の教師となり、その間大学院で勉学、教育者として生きることを決意する。『教師は聖職に一身を捧げるために存在する』と言い切る。やがて校長となる。『良知を致す』を基本的立場として教育の原点に置く。校長でありながら授業を受け持つ。教師になるための学生たちに「良い生徒、出来る生徒こそ集団の牽引力であり全体の向上に役立つスターであると説く。見事な田浦君の生き様と感服した。
「若人の心を砕く/時艱(とき)来たり 明日を信じて/君を憶うて 命/日々に捧げし/ああ霧の向こうに咲く花ひとつ/赤い花(2番)
歌を始めたのは定年後からだという。群馬県作詞作曲家協会員でもある。「20世紀の大半を占める昭和の時代は、近代日本の盛衰を象徴する暦史を残した。当時の人々は、ひとしく苦難の道から平和への再建を果たし、ささやかながらそれぞれの愛に生きた。年を重ねた今、当時の生きざまが幻想となって、脳裏をかすめる。そして共に支えあったいとしい人を憶う」と田浦君は記す。
「暗雲(くも)は去り 四海の波は/鎮まりぬ 昭和の愛を/年齢(とし)を重ねて 今も/歌う倖せ/ああ霧の向こうに 咲く花ひとつ/碧い花(3番)
私の周りには素晴らしい同期生がいっぱいいる。「生涯ジャーナリスト」を目指す私は書くことが幸せである。霧の向こうに咲く花は黄色い花が私には似つかわしい。田浦君を知ったことは大きな喜びである。
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