2010年(平成23年)4月20日号

No.501

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追悼録(415)

「花を見て南無阿弥陀仏唱え候」


 東北関東大震災以来どうも無力感がつきまとう。「歎異抄」(全訳注・梅原猛・講談社学術文庫)を手にとる。第十条に「念仏には無義をもて義とす」という言葉がある。「念仏と言うものは、分別,悟性でもって理解しえないところが、その正しい理解であります」と解釈する。ともかく念仏はこざかしい人間の理性では理解できないというのである。ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えておればよいということらしい。東日本大震災ではまだ行方不明者が1万4千人もいる。「花を見て南無阿弥陀仏唱え候」。

 死者は1万3千人を超える。ニューヨークの追悼ミサで宮澤賢治の「雨ニモマケズ」が朗読されたと伝えられる。この詩が発表されたのは宮澤賢治の死後(昭和8年9月21日死去)である。昭和9年の春、東京で開かれた「しのぶ会」で弟清六さんが持ってきた遺品のトランクの中から発見された。早速その席上で読み上げられ、参加者の感動を読んだというものである。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ怒ラズ
イツモシヅカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンノカンジョウニ入レズニ
ヨクモキキシワカリ
ソシテワスレズ
・・・・・・・・

 宮澤賢治は法華経信者であった。この詩を書きとめてあった手帳には「まさに知るべし、この処は、すなわちこれ道場にして 諸仏はここにおいて 三菩薩を得」と法華異教の引用句が書かれていた。この詩は賢治の自戒のためのものであったらしい。この詩が今回の被災者の励ましになるかわからないが「マケナイデホシイ」と言う願いは理解できよう。

 それにしても菅直人首相の無能ぶりはどうにかならないのか。大震災後1ヶ月たっても被災地のがれきの山は放置されたまま、地元への復旧対策はままならない。福島第一原発の処理のもたつきまで菅首相のせいにされる。

 「いたづらに過ぐる月日もおもしろし花見てばかりくらされぬ世は」とある狂歌師が歌う。自粛ムードで花見る人も少ない昨今であるが無為に過ごすのも面白いと言ってばかりおられない。委員会や会議ばかり乱立して仕事したつもりになっておられては困る。一刻も早い復旧が望まれてならない。

(柳 路夫)