花ある風景(416)
並木 徹
中島潔の絵について
中島潔が描く『生命の無常と輝き』展をこのほど見た。67歳の中島潔が昨年5年の歳月を掛けた京都・清水寺成就院奉納襖絵が完成したのを記念した展覧会であった。中島が描く少年少女には言いに言われぬ哀切がある。『銀座展望台』(3月29日)に次のように書いた。
「▲風の画家中島潔画描く『生命の無常と輝き展』を見る(松屋銀座店・3月28日)最終日とあって会場は込んでいた。中島潔の「小さき者、弱きものへの温かいまなざし」はどこから来るのだろうか、そう思いつつ絵を見て回った。昭和18年4月26日満州の東北部に生まれたのを初めて知った。私も少年期をここで6年間を過ごしている。敗戦直前、中島はわずか1歳で両親の生まれ故郷である佐賀へ帰国。18歳の時母を失い温泉掘りをし困窮の中を絵の勉強をする。逆説的に言えば、彼ののびのびとした、底抜けの明るさはここから来るのかもしれない。
『夢童』「それはせつないほどいとおしい故郷の原風景」だ。
『向日葵』「これは生命の輝きです。少年と少女がふと出会うほのかなあい・・・・」
私には『ヒマワリの先に1945年の恋』と言う句がある。
十分に堪能して帰途についた」
襖絵『大漁』には圧倒された。襖8枚にイワシ画描かれている。中島は言う。「母親を亡くし父親への反抗心から故郷を離れてであったいろいろな人たち、その人々の命をイワシ一匹一匹二描きました。心優しく忘れ得ぬ人たちの心が私の絵の原点です」
中島が反抗した父親は自分の部屋にところ狭しと息子・潔の絵を飾っていた。中島はそのことを父の死後にはじめて知る。父親というものはそういうものである。
清水寺貫主・森清範さんは中島潔との対談で「中島さんは命と言うものを描こうとしておられる。それが風の画家と言う形になってでてきている。その命は大自然の樹木もありますし、生き物もありますし、すべてのものが生きているのです。この生きているというのが私は観音様の命だと思うのです」と指摘する。
「花が咲く死ぬ物狂いの襖絵」(悠々)
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