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1000年に一度の東北・関東大地震
牧念人 悠々
その時、府中の自宅でパソコンを操作していた(3月11日午後2時46分)。書棚から本がぱらぱらっと落ちてきた。相当な揺れである。5分ほど続いた。思わずパソコンの台にしがみついた。地震の時は『あわてて外に飛びださないこと』と聞いていたので万一の際は机の下にもぐろうと考えた。揺れが収まった。書棚の本は50冊ほど落下していた。
夕方長男の嫁から安否を気遣う電話が入った。亭主は銀座にある会社から歩いて中野の自宅まで歩いて帰ってきた。高校一年生の孫娘は百合ヶ丘から真夜中友人の父親の車に同乗して帰宅した。新潟の長女の娘からも、千葉に住む長女からは「いま職場にいるが大丈夫ですか」と電話があった。
国連のパンキムン事務総長は「日本は貧乏国への最も寛大な援助国の一つだ」と述べ今度は国際社会が恩返しをする番だと訴えた。約70ヶ国が援助を申し出、早々と来日、被災地で救援活動にあたる。
▲マグニチュード8.8。のちに9.0に訂正される。神戸・淡路大震災の2000個のエネルギーを持つ。1000年に一度の地震だという。
東北地方の太平洋岸に押し寄せた津波はまさに“魔の波“。町をいっきょに流し、人の命を奪い、がれきの廃墟と化す。
この自然の猛威を目の当たりにした子供たちにはどのような衝撃を与えたのであろうか。さらに友人、肉親を失ったとすればその心の傷は計り知れない。国際救援はうれしい限りである。
福島原発の被害が最低で収まるよう祈らざるを得ない。(「3月14日「銀座展望台」)
今回の地震で象徴的な出来事は福島沖15キロの海上で自宅の屋根に取りすがって漂流中の60歳の男性を海上自衛隊のイージス艦が救助したことである。地震から45時間後である。この間、口にしたのは栄養ドリンク2本だけ。寒さに耐え、空腹に耐え、生命の危機と戦いながらひたすら救助を待つ。ヘリや船に見過ごされて、発見したのは、訓練が行き届いたイージス艦であった。
地震後各地の避難所で生活を余儀なくされている人は45万人を超える。不便な生活を強いられストレスもたまるものと思われる。関東大地震の際、芥川龍之介は「大震雑記」を雑誌に発表している。そのなかで「大地震がやっと静まった後、屋外に避難した人々は急に人恋しさを感じ出したらしい。向う三軒両隣を問わず、親しそうに話しあったりタバコや梨を進めあったりお互いに子供の守りをしたりする景色は渡辺町、田端、新明町、―殆どいたるところで見受けられたものである」と書く。同じ地獄を見、つらい体験を共有した連帯感がそうさせるのであろう。今回も同じような現象起きるであろう。それが地域の復興とつながってゆくであろう。
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