安全地帯(315)
−信濃 太郎−
東北・関東大震災に思う
東北・関東大震災の規模はマグニチュード9.0。津波のすごさは高さ15メートルを超え巨大な壁の波が“滝”が次から次へ押し寄せ、すべてのものを流し、街を壊滅状態にする。死者4286人、行方不明2万人以上を数える(3月17日)。自然の猛威の前に人間は全く無力であった。『方丈記』は冒頭に言う。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし」。作者鴨長明の無常観はまた我々の感慨と同じくする。作者は元暦の大地震(文治京都地震)に遭遇する。1185年8月13日マグニチュード7.4の地震が発生、死者多数、法勝寺や宇治川の橋が損壊、余震が2ヶ月続く。鴨長明はドクメンタリータッチで大地震の様を描く。
「同じころかとよ、おびただしく大地震(おほなゐ)ふることはべりき。そのさま、世の常ならず。山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌(いはほ)割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波に漂ひ、道行く馬は足の立ちどを惑はす。都のほとりには、在々所々(ざいざいしよしよ)、堂舎塔廟(だうしやたふめう)、一つとして全(また)からず。あるいはくづれ、あるいは倒れぬ。塵灰(ちりはひ)たちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家の破るる音、雷(いかづち)に異ならず。家の内にをれば、たちまちにひしげなむとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚えはべりしか。
かく、おびたたしくふることは、しばしにてやみにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二、三十度ふらぬ日はなし。十日・二十日過ぎにしかば、やうやう間遠(まどほ)になりて、あるいは四、五度、二、三度、もしは一日(ひとひ)まぜ、二、三日に一度など、おほかたその余波、三月(みつき)ばかりやはべりけむ」
平成の東北関東大震災はこれに原子力発電所の爆発の危機が加わる。戦後66年平和に慣れ『常在戦場』の気持ちも忘れてしまった。『常に最悪の事態に備えて対処する』教訓もなくしてしまった。そのつけが日本国民に襲った感じがする。それでも日本国民は立ちあがる。
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