2010年(平成22年)11月10日号

No.485

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花ある風景(400)

並木 徹

 同期生勝野高成さんに自像の博多人形が贈られる

 

  同期生勝野高成さんから嬉しい手紙が届いた。勝野さんは福岡市中央区剣道連盟の会長を40年間続けてきた。このほど辞任した際、会員から博多人形が贈られた。しかもその人形は勝野さんの剣道姿で家紋の『丸に武菱』まで入れてあったという(写真参照)。剣道が上手なのは聞いて知っていた。中学校4年生のときには剣道大会で優勝もしている。それでもボランタリー活を動長い間続けるのは努力も根気もいる。頭が下がる。

 この間、勝野会長が主張したのは1、心正しからずば剣も亦正しからず 2、剣の最終目標は恩を知ることである 3、血の赤い子供を育てる。の三つであった。

 3番に私たちが入校した時の陸軍予科士官学校牧野四郎校長の訓示の一節を思い出す。「武士的情誼をますます涵養し、花も実もあり血もあり涙もある武人たらんことを期すべし。情誼は軍隊団結の基本なり」。恐らく勝野さんは「花も実もあり血もあり涙もある・・・」を思い出されたのだろうと思う。私もそうであった。平成8年1月「スポニチ登山学校」を作った際,校則を設けた。1、山に親しみ、山を愛し、山から学ぼう 2、登山の基礎的技術をしっかり身につけ心身を鍛えよう 3、常に情誼のあつい人間たれの3ヶ条であった。3番の校則は牧野校長の訓示からとったものであった。生徒たちは「登山学校としては3番目がユニークだ」と言っていた。残念ながら登山学校は12年間で閉校した。私の力足らずであった。

 勝野さんの社会貢献は数知れない。ニュージーランドとの親善を進め、奨学金制度を創設、ニュージーランドの若者を日本に受け入れ、日本の文化やビジネスを勉強する機会を作った。また平成11年からコロンビアの名誉領事になり、来日したコロンビアの音楽家や画家の世話をしたり、国際的な行事に出席したりするなど労を惜しまずに活躍している。

 私たちの同期生会は親睦と互助を目的とする。親睦を深めるためには知的刺激も必要だし、戦後我々がいかに生きてきたかを後世に伝えるべきだと思う。その意味で勝野さんの生き方は推奨に値する。