2010年(平成22年)10月10日号

No.482

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茶説

尖閣列島は日本の領土 歴史を知ろう
 

牧念人 悠々

 ニョヨークの「ウォールスツリートジャーナル」がワールドニュースの一面・写真付で10月2日、東京で「頑張れ日本」が主催した「中国の尖閣侵略を阻止する集会」とデモ行進(参加者は約3千人)を報道した。このニュースは日本の新聞には一行も報道されず、ネットの「西村真吾の時事通信」で初めて知った。尖閣列島は沖縄県石垣市の無人島であり、歴史的に見て日本領土である。それを中国は尖閣列島の海底に石油資源が埋蔵されている可能性があると知って昭和49年から領有権を主張しだした。このような理不尽なことはない。マスコミはあまりにも無関心すぎる。

 善行雑学大学の代表理事・宮田英夫さんからいただいた資料(2008年4月、会員・志村秀夫さんの講演「国際法から見た竹島・尖閣諸島の帰属」より)によれば、歴史的経過は次のようである。

1885年(明治18年)古賀辰四郎さんが尖閣諸島での事業のため沖縄県に借地の請求を行った。一方内務省は沖縄県に尖閣調査を命令、沖縄県令が慎重な調査を要請する。
1885年11月、沖縄県令は「清国との関係なきにしもあらず」と調査報告する。
1893年(明治26年)沖縄県知事が国標を立てることを要請する
1895年 日清戦争勃発
1895年1月 日本政府が尖閣諸島の沖縄県への編入を非公開で閣議決定、日本領とした。周辺国への通告なし。
1895年4月 日清講和条約 清国が台湾・澎湖諸島を日本に割譲
      6月 古賀辰四郎が「官有地拝借願」を内務省に提出
1896年(明治28年) 日本政府が古賀に30年の無償貸与を許可
1918年(大正7年)古賀辰四郎死去、息子・善治郎が継承する。
1920年 中華民国の駐長崎領事から福建省も漁民救護に感謝状が贈られる。その感謝状に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていた。
1932年(昭和7年)魚釣島、久場島、南小島、北小島を古賀に払い下げる。
1940年(昭和15年) 古賀が事業継続を断念、尖閣諸島は無人島になる
1945年 日本、ポツダム宣言を受諾す。
1946年 GHQ覚書667号「若干の外郭地域を政治上、行政上日本から分離に関する覚書」により尖閣列島を含む南西諸島の施政権が連合国へ
1852年(昭和27年)4月日本国との平和条約発効、米国の市政下に置かれ、米軍が大正島(赤尾嶼)と久場島を射撃場として使用する。
1953年 中国人民日報が尖閣諸島と表記して沖縄を構成する一部と紹介する。
1965年 北京の地図出版会社が「世界地図集」で日本領として尖閣諸島を表記する。
1968年 日本、台湾、韓国の海洋専門家が国連アジア極東経済委員会の協力の下、東シナ海一帯の海底を学術調査
1969年 海底調査の結果、大陸棚に石油埋蔵の可能性を指摘する。台湾東京は付近海域の石油採掘権を米・ガルフ社に与える。
1970年(昭和45年) 台湾の国定教科書「国民中学地理科」で尖閣諸島を日本領として表記する。
1971年6月 台湾が外交部声明で尖閣諸島の領有権を主張、沖縄返還協定成立
     12月中国が外交部声明で尖閣諸島の領有権を主超する。
1972年3月 日本外務省「尖閣諸島の領有権について」と題し見解を発表する。
1972年5月 沖縄返還、政府は尖閣諸島の民有地(魚釣島、久場島)に20年間の賃貸契約締結、1992年さらに20年間賃貸借を延伸(2003年発表)
1978年4月 100隻の中国漁船が尖閣諸島を侵犯、領海内操業をする。
1978年8月 日本政治団体「日本青年社」が魚釣島に灯台を建設
     10月 中国副首相・ケ小平が日中平和友好条約批准のため来日
1979年5月 海上保安庁が魚釣島に仮説のヘリポート設置の為に巡視船「綾瀬」を派遣する。仮説ヘリポートは中国の抗議で撤去される。
1992年2月 中国が領海法を制定、魚釣列島(尖閣諸島)を自国領と名記す
1994年11月 国連海洋法条役発効
1996年 日本青年社、再度、灯台を建設し、海図への記載を求めるも中国政府の圧力で日本政府は記載をやめる。
2002年2月 台湾前総統・李登輝が尖閣諸島は日本の領土と発言、中国民衆は猛反発する。
2004年3月 中国活動家7名が魚釣島に上陸、沖縄県警は不法入獄で逮捕
     3月 米国務省副報道官エレリが尖閣諸島に「日米安保条約」の適用を表明
     4月 衆議院は尖閣への中国人の不法上陸事件に対し警戒・警備で万全の対策を求める「我が国の領土保全に関する件」決議を全会一致で可決する
2005年2月 日本青年社が建設した灯台の放棄に伴い国有化し海上保安庁が保守管理すると発表、実行支配を強化する。

 この年表を見る限り明らかに尖閣諸島は日本の領土であるにもかかわらず日本政府が仮設のヘリポートを撤去したり灯台の海図の記載を中止したりしている。あまりのも弱腰である。中国へ遠慮しすぎる。今回の中国漁船衝突・公務執行妨害事件の処理の不手際も政府の弱腰による。大いに責められる。