2010年(平成22年)10月10日号

No.482

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山と私

(68) 国分 リン

― 猛暑を逃れて「小金沢連嶺」 ―

 背丈ほどの笹におおわれた踏み跡に「この道は違うな、間違いよ」と叫んでいたら先に様子を見に行っていたKさんが「さっきの四つ角へ戻って地図を見よう」標識が判りにくく、早とちりをしたためだった。道迷い遭難が非常に多いと山雑誌に出ていたのが頭をよぎった。戻り、5分ほどで最終目的の湯ノ沢峠へ着いた。

 連日の猛暑に涼を求めて山を考えたときにエーデルワイスクラブに入会し、新人山行の8月、大菩薩嶺へ登り、涼しくて高山植物のヤナギランがきれいだったことを思い出し、そうだ地図をみて今の時期はマツムシソウだ。湯ノ沢峠を境に、大菩薩峠へ連なる北側を小金沢連嶺、南側を南大菩薩連嶺と、地図に載っていた。小金沢連嶺へ登ろうと、Kさんの了解を得て9月12日に決定した。

 7時2分高尾発甲府行に乗るため、久しぶりの4時起きをして大島駅始発に乗った。高尾発の電車の中はザックの集団が多かった。塩山駅8時13分着、新小屋平までタクシーに乗り、大菩薩登山口の長兵衛山荘前はもう車の行列ができていた。中山介山著の「大菩薩峠」で一躍有名になった大菩薩嶺はその昔、塩山と丹波山・小菅を結ぶ交易路として利用された峠だったそうで、今は100名山ブームと、車が入るので人気のあるコースなのだ。Kさんは塩山市が毎年8月に行っている大菩薩トレールランへ何度も参加している体力の持ち主である。その前を通りすぎ、暫く進むと、ゲートが締まり通行止め、車を降りてゲートを潜り歩き出したら、道が荒れていて車が通れる状態ではないのが分かった。石丸峠への登山口の新標識9時30分出発。樹林の中を登ると笹原に出て、石丸峠へ到着。景色が広がり大きな富士の眺めが素晴しい。これから目指す小金沢山が、まだ遠く笹原の区切りの道先に見えた。牛ノ寝通りの分岐を分けて進む。名前が面白い。小菅の湯への道で今度歩いてみたいと思った。ピークの天狗棚山には2人の登山客だけで静かだ。前方に狼平の笹原が見事だ。15分ほど下ると一面笹原で、静かな空間に出た。脇へそれる細い踏み跡を辿ると狼平の標識と一本の木の下で休憩。笹を渡る風が涼しく別天地のようだ。またスズタケを掻き分け樹林に入ると、倒木と木の根が出ていて、赤いテープを目印にKさんの後を必死で歩くと「小金沢山2014.3m」到着。山頂に2組だけで静かだ。山梨100名山の標識と別名「雨沢の頭」の看板があった。少し早い昼食を取り、尾根道を下りまた明るい笹原に出て標識があり賽の河原と水場ありと記されていた。賽の河原は一面笹原で、名前のようではない。背丈ほどの笹原をまた進むと、樹林の中の牛奥ノ雁ヶ原摺山1994mへ到着。この山と小金沢山は秀麗富嶽12景の1つで、賽の河原越しの富士の眺めが素晴しいらしいが、もう雲に蔽われてしまっていた。また笹原の道を歩くと、川胡桃の頭の標識を見ながら先を急ぎ針葉樹の中の黒岳1987.5mへ14時到着。休憩をとり、また下山に掛かると、広葉樹林帯に入り、山梨の森100選になっている樹林帯は気持ちが良い。マツムシソウが無いねと話していたら咲いていた。次々たくさん咲きほこっていた。白谷ノ丸は今までの登山道と違いピンクの円葉シオガマタカネアオチドリが咲く花畑になっていた。笹に侵食されないように願いながら歩いていると、また背丈ほどの笹原になって周囲の景色も閉ざされた。登山者が少ないため踏み跡も笹に隠されてしまっていた。笹を振り払い踏み跡を必死で歩き、15時湯ノ沢峠に到着。6個のピーク超えはなかなかのものでミニ縦走気分を味わい、静かな山を楽しんだが、笹原には参ったなと思い、来年は春先か、雪があるときにまた挑戦しようかと思ったのが、正直な感想であった。