2010年(平成22年)8月1日号

No.475

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追悼録(389)

梅雨晴れて南無阿弥陀仏義姉逝く


 愛知県岡崎市で行われた義姉・牧内芳枝の葬儀に参列した(7月18日・享年86歳)。敗戦直後、長兄の嫁・芳枝さんには大変お世話になった。長兄も93歳、長い間、会っていなかった。3年前、名古屋に所用で来た際、電話で消息を確かめたところ、二人とも日常の生活にやや難渋するだけでともかく元気であった。心からご冥福をお祈りする。

 敗戦後、もののない時代、母の着物をほどいてジャンバーを作ってくれた。軍服しかなかったので助かった。長らく愛用した。また陸士から復員してから人生の生き方に悩んでいる私を見かねて大樹寺の伊藤超山師を紹介してくれた。このお寺に一ヶ月ほど滞在して超山師の教えを受けた。お説教よりも自由にさせていただいた。「この部屋で好きな本でも読んでいなさい」といってくれた。仏教書ばかり読んだ記憶がある。伊藤超山師の教えは「人としてなすべき当たり前のことをせよ」と言うことであった。ほどなく新しくできた地方新聞社に職を得た。その仕事が私の生涯の生業となった。不思議な縁である。

 法要の合間に分かったことだが、私が大樹寺とばかり思っていたお寺は実は荒井山九品院であった。義姉の実家の菩提寺である荒井山九品院の伊藤超山師を紹介していただいたのだ。大正大学の先生もしておられ。晩年には知恩院の管長にも擬せられたという。平成16年6月15日には伊藤超山師の27回法要が行われたと聞いた。場所は岡崎市鴨田町字山畔9。本尊は阿弥陀如来と千手観音菩薩である。現住職は伊藤超淳師である。

 これまで告別式では納骨式に立ち会っても骨を拾うことをしなかった。あの世へ一緒に連れて行かれそうな気がするのでかたくなに拒んできた。今回は芳枝姉さんの骨を拾った。

 久しぶりに長兄と話した。今は足が悪く、どこにも出かけないが、時々タクシーで買い物に行く。週二回、長男の嫁が食事を運び、風呂にも入るとのことであった。わが牧内家は長寿の家系で父親は89歳まで生きた。そういえば長兄の顔が父親そっくりであった。80歳過ぎてから脱腸の手術と胆石の手術をしてから体が弱ってきた。意外な話を聞いた。私が昭和56年6月、毎日新聞西部代表になったと聞いて、これまで読んでいた他紙をやめて毎日新聞に切り替えていまなお購読しているという。

 初七日の法要が終わって住職の法話があった。その中で私の興味を引いたのは生前行いのよい80点以上の人が極楽へ行き、それ以下の人は地獄へ行くことになっている。だが49日の間、仏様は天上から様子をご覧になられて75点の人でも80点にして極楽に行けるようにされるという。もし芳枝姉さんの点が足りないとすればそれは間違いだということを49日の間、仏様に念じなければならない。私は「仏様それは間違えですよ」と強調したい。

「梅雨明けて極楽に座す芳枝信女」   悠々

(柳 路夫)