2010年(平成22年)8月1日号

No.475

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山と私

(65) 国分 リン

― 花の名山・焼石岳 ―

 7月 いよいよ夏山シーズンに胸をドキドキさせながらエーデルワイスクラブの
友のFさんと選んだ「焼石岳」・山腹は特に東側斜面はむちゃくちゃ積雪が多くこれは鳥海山や月山にも匹敵するほどで、真夏は勿論、年によっては秋の新雪期まで、雪渓として残り、豊富な水のおかげで、湿原や池沼が多く、湿生植物や至るところでお花畑に遭遇し、とても感動の多い山旅であった。

 7月2日(金) JR大人の休日クラブ企画「新幹線在来線3日間乗り放題12,000円」のチケットで「水沢江刺駅」到着。今日は「ひめかゆ温泉」泊まりなので観光案内へ尋ねると1時間後に出るZバスで水沢駅に出て、そこから「ひめかゆ温泉行」の路線バスへ乗ってくださいと教えられた。待合室で昼食を取ろうとしたら親切な地元のご夫婦が「ここの名物のわかめそばでお握りを食べると美味しいよ」と手作りのお握りをご馳走してくださった。とても嬉しくなり2人で暖かい気持ちになった。Zバスは小さく私達2人だけの乗客で、市内の老人ホームや病院をくるくる回るので、ひめかゆ温泉行の時間を言ったら、突然スピードを早くしてくれて、地元のお年寄りが待つバス停に着いた。「どこがらきだの?」「やまさのぼんのがよ」と話しかけられ、きっと私と余り年の違いはないと思うのに、「やすんできたのが?わげなあ」と言われ恐縮した。一緒のバスで降りるときには「きーづげでな」と声をかけてくれ、田舎の人の暖かさに触れ嬉しくなった。午後2時10分に奥州市胆沢区の焼石クワパークひめかゆ到着。金曜日ながら大勢のお客さんがのんびりと温泉や昼寝をして過ごしていた。

ひめかゆの語源はと思いキョロキョロしていたら写真があった。「ヒメカイウ」と言う里芋科で水芭蕉の仲間で、小さく可憐でこの焼石にしか見られないことから「ひめかゆ」と命名したと説明があった。明日のお天気を祈り眠りに着いた。

 7月3日(土)雨が激しく音を立てていてびっくりして目覚めたら起床時間4時であった。外の様子を見ると雨が落ちていた。ガッカリしたが、取りあえずタクシーを5時に予約していたので準備をして宿へ置く荷物を分けお願いして、玄関に出たら雨は止んでいた。つぶ沼登山口までお願いしたら「雨かもしれないが行って見ましょう」雲は重く立ち込めていた。つぶ沼キャンプ場が過ぎたのに停車もせず「トンネルを過ぎると秋田側から登山口があるよ」焼石ビーチラインはこの時間帯すれ違う車も無いが、秋の紅葉時期は混むらしい。トンネルを過ぎたら秋田県の標識と同時に青空がひろがり嬉しくなり大声で、「ここから登ります」。6時に、すずこやコースと地図にあり、焼石岳と大きな標識が出ていた。ブナの原生林の中、踏み跡と案内板を頼りに歩く、ギンリョウソウの群落の多いのに驚きながら歩くと、7時40分に5合目釈迦ザンゲ到着。いきなりの下り道を不安になりながらも歩くと、6合目与冶兵衛9時到着。更に歩くと川の渡渉地点になり、増水して渡るのに苦労するがさすがFさん靴は濡らせないと渡渉点を探し、私も助けられて無事渡り、この川岸辺りからハクサンチドリの紫の花が多く見られ、高山植物の出迎えに喜び、7合目柳トロには10時着、尾根に取り付き、長命水の水場は、冷たく豊富に流れ今までの汗の分を充分に補給できた。

 ここからは花の街道でシナノキンバイ・リュウキンカ・ミヤマキンポウゲ等のイエローガーデンの中歩くと、雪解け水の中に可愛いヒメカユと思われる水芭蕉がたくさん咲いていた。焼石神社分岐に11時35分ここから思いもかけない火山のゴロゴロ大きな石の登り、やっと焼石岳頂上(1547.9m)へ到着、12時であった。先客は4人で東京から夜行バスで登りにきて、明日は早池峰を登ると聞かされ、驚いた。頂上は標識だけで直ぐに下山した。石が敷き詰められ、水が流れている道の両側はヒナサクラや

 ヒオウギアヤメの見事な群落が続き、大きなピンク色のシラネアオイの行列に歓声を挙げ、どんどん下るが、次々アヤメやミツガシワが下りの辛さを忘れさせた。木道があちこち取り付けられ、助けられた。大きな雪渓を下ると銀明水の休憩場があり、立派な避難小屋もあった。ここから注意して中沼コースとつぶ沼コースがあるのに、大きな踏み跡のあるコースに何も疑問も持たずに、Fさんはおかしいなと疑問を持ったが、立派な道が続きタクシーの待合せ時間に気を取られて先を急ぎ過ぎた。下山口15時50分到着。なんと中沼コースで2年前の地震で道が閉鎖されていた。待たせてあるタクシーに連絡をして貰おうと宿へ携帯で連絡したら通話が出来、「林道を下山します。」と歩き始め、そこからは圏外になり通話が出来ず心細かったが、17時半新しい立派な道に会い、迎えに来ていた宿の方の車でこの時間まで待っていてくれたタクシーに乗った途端、バケツをひっくり返したような大雨になった。宿へ荷物を取りに戻り、深く感謝をして今回の山行は終った。しかし一歩間違えば遭難騒ぎにと思うと2人で深く反省し、つくづく携帯電話に頼りすぎの世に厳しく警告を発します。

 でもこの焼石岳は、花の名山を実感し、素晴しかったので、来年また挑戦しようと友と約束した。