つかこうへいさんが亡くなった(7月10日・享年62歳)。映画「蒲田行進曲」(監督深作欣也・昭和57年製作)が思い出される。最後のシーン、ヤスが切られて階段から落ちるところを鮮明に覚えている。後は思い出せない。友人の霜田昭冶君は「俺はそこと主題歌しか覚えていないよ。あの調べは良かった」といっていた。主人公の引き立て役に甘んじた男を描く作者に言い得ぬ想いがあったのであろうか。「蒲田行進曲」は直木賞受賞作(昭和56年・第86回)の映画化である。本の表現を借りると「銀ちゃん(主人公・土方歳三役)に踊り場で胴を払われ,袈裟がけにされ『ギャーッ』という叫びとともに血しぶきをあげ、ゴムマリのように転げ落ちて行く。骨は砕かれ、神経は断たれて、あがり框で全身を大きくバウンドさせ、グシャリと堅い土に打ちつけられる」とある。主題歌の原曲はルドルフ・フリムルの「浮浪者の歌」。アメリカのオペレッタ「浮浪者の王」の中の1曲。これに堀内敬三が日本語の歌詞をつけた。
「虹の都 光の港 キネマの天地
花の姿 春の匂い あふるるところ
カメラの眼に映る かりそめの恋にさへ
青春もゆる 生命はおどる キネマの天地」(1番)
つかこうへいさんは生前に「メッセージ」を残した。それには「私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうと思っておりません。通夜、葬儀、お別れの会等一切遠慮させていただきます。しばらくしたら娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています」とあった(日付は今年の1月1日である)。この人は謙虚な方だと思う。
私は友人に頼まれて会社のヘリを使って友人の夫人の遺骨の入った壺を対馬沖に投じた事がある。たまたまフランスから自動操縦のベル社の新型ヘリが配備された。その試乗の機会に恵まれた。友人から「死んだ女房の遺言で骨を太平洋に散骨してくださいとあった。なんとならないか」と相談を受けたところであった。昭和57年の5,6月ごろであった。決行することにした。友人はあらかじめふろ場で骨の入った壺が沈むことを確かめ、そのうえ海での散骨が法律的に問題のないことを弁護士に調べさせていた。当日は快晴、一路、対馬沖を目指した。北九州飛行場から30分もかからなかったと思う。ヘリを海上10メートルぐらいの高さまで降下させて壺を海へ投じた。うまくいった。友人の表情は硬く、悲しげであった。
120歳まで生きる私の場合、友人知己はまずいないので、身内だけでささやかに行うほかない。神道なので戒名は要らない。名前に「命」(みこと)がつくだけでる。散骨の意思はない。祖先伝来の墓に入れてむらえればよい。
「死支度まだまだだよと夾竹桃」悠々
(柳 路夫) |