花ある風景(389)
並木 徹
昨今は性表現が即物的だ
毎日新聞で戦前、名社会部長と言われた小坂新夫さんの著書「なぐれ記者」(非売品・昭和53年3月31日発行)を暇にまかせてひもといていたら意外な記述にぶつかった。昭和の犯罪史に残る猟奇的事件「阿部定事件」の際、女の“秘所“の表現に困ったというのである。
「阿部定事件」は昭和11年5月18日東京・荒川区尾久町の待合で、1週間前から泊まっていた中野区新井町の料理店の石田吉蔵さん(52)が連れの元同店の女中阿部定(31)に首を絞められた上、下腹部を包丁で切り取られて殺害され、女は男の一物を持ったまま逃走した、当時話題をさらった猟奇事件であった(裁判の判決は懲役6年であった)。
今は言論自由の時代。女の“秘所”をどう表現しようが問題にならない。当時は警察用語に「フシキ」「フサキ」というのがあった。「フシキ」は新聞紙法、「フサキ」は出版法によって、ともに「風俗を壊乱する恐れのある記事を掲載し、発売頒布を禁止された。各署は速やかに部内を捜索して該当物を発見して押収せよ」という命令略語である。この事件を扇情的に書きまくると、たちまち「新聞紙法」で発売禁止を食らってしまう。犯人の阿部定は愛人の「アソコ」を持って逃げ回っている。露骨に「オチンチン」とも書けない。思案にあぐねた小坂社会部長は編集局全員に「名案」を募った。昔から毎日新聞は民主主義的なところがあったようである。政治部の陸軍省担当の田中重雄記者が「局部と言うところだが、そこをひねって局所とやったら…」と提案した。毎日新聞はこの「局所」と言う表現を使った。ちなみに朝日新聞は「死骸は頭部西向きに横臥し、細紐を持って首を絞め下腹部を刃物で切り取って殺害」と表現している(昭和11年5月19日)。
阿部定が捕まったのは事件発生後3日後であった。阿部定は犯行の翌日の午後五時半ごろから芝区高輪南町の品川駅前の旅館に「大和田直」の名前で宿泊した。20日午後4時ごろ、二人の高輪署員が臨検に来て宿帳を調べ、宿屋の人の「別に異常がありません」と言う言葉をそのまま鵜呑みにして引き揚げた。その直後、同じ警察署の安藤松吉部長刑事が臨検に訪れ宿帳を一見して性別不明の大和田直(34)に疑いを持った。部屋に行き「警察のもですが」と言うと阿部定は「ご苦労様です。お定です。お手数おかけしてすみません」とすぐに観念、手を差し出した。部長刑事が「あれはどうした」と尋ねると「ここに持っておりますわ」と懐中から血の滲みでている小さなハトロン紙の包みを差し出した。まさしく「局所」であった。
警視庁はどのような表現をしたのか警視庁史を見ると、「急報によって駆けつけた尾久警察署の係員によって行われた検視は型どおりであったが、その死体は全く型を破っていた。全裸で仰向けの絞殺死体は“陰のう”もろとも根本から切り取られていてその“肉片”は見当たらない」とある。また「三日間も直接肌身につけて温めていたこの“肉片”からはえも言われぬ悪臭が発散し始めていた」とも記す。
話題を呼んだ小説「失楽園」(上、下、講談社刊・1997年2月21日発行)の連載の前、渡辺淳一さんに会うと、今「阿部定事件を勉強している」と言っていた。連載が終わって成るほど思ったことがある。渡辺さんは結末に苦心されたのだと思う。
「失楽園」の最後は心中した男女の死体検案調書で終わる。まことに無粋な堅ぐるしいお役人の文著である。それがかえって生々しいエロスを発散する。男と女の愛の物語としては傑出している。
死体検案調書にはつぎのようにある。
検案所見
「発見時、本人は全裸のまま,相対せる女子(別紙記載)と強固に抱擁し,股間まで密着して、陰茎は女子の膣内に挿入されたまま、死後硬直の最も強い時間帯であるため、容易に離しえず、警官二名にて、ようやく二人を分かつ、(略)」
そこへゆくと俳句の表現は優雅である。。
「あけび吸ひ叔父姪の垣あやふしよ」熊谷愛子
「くらがりに茄子の軋む昼下がり」津沢マサ子
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