菅直人首相は自らの内閣を「奇兵隊内閣」と名付けた。果敢に行動をする意味であろう。その気概をよしとする。高杉晋作は吉田松陰も認める有能な人物であった。奇兵隊を組織したのは24歳の時(1863年6月)である。身分によらない志願制であった。戦も上手であった。第二次長州征伐の際には幕府艦隊を夜襲して撃破したり軍艦の砲撃の元に奇兵隊等を上陸させ幕府軍を敗走させたりして軍功をあげる。惜しいことに明治維新の大業を見ることなく1867年4月に肺結核のため27歳で死去する。
確かに高杉晋作にならって有能な政策通を集めて「仕事大好き内閣」を組織した。時代は常に激動する。長州藩が守旧派と尊王攘夷派と別れたように民主党にも対立はある。それを乗り越えて“時代の白いカンパス”に大きな絵を描かねばならない。容易なではない。首相は高杉のように若くはなく。すでに63歳である。難題は普天間の基地移設問題である。日米合意ができている以上、辺野古に移設せねばならない。日米同盟、集団安全保障、日本の国防という国益から判断すれば、沖縄の人々に苦渋の決断をしてもらうほかない。沖縄が最後まで反対したどうするのか。「沖縄の負担の軽減」などと言って事態が収まるものではない。
次の問題は財政再建である。いつまでも赤字国債を発行するわけにはいかない。増税するほかない。ばらまき政策はやめたらよい。国会議員の定数の削減。公務員の給料の削減など首相のリーダーシップを問われる事態が少なくない。「強い経済、強い財政、強い社会保障」は言うのは簡単だが実現は極めて難しい。それを黙々とこなしてゆくほかない。
高杉晋作は吉田松陰、久坂玄瑞、坂本竜馬、中岡慎太郎と共に靖国神社に祀られている。菅内閣の武運長久を祈って閣僚一同靖国神社へ参拝をされたらどうか、おすすめする。高杉晋作の辞世の句は「おもしろき こともなき世を おもしろく」であるという。後世の人が「成し遂げたのは菅直人」と後の句を読むよう、ご活躍を祈ってやまない。