作詞家・吉岡治さんが亡くなった(5月17日・享年76歳)。吉岡さんとは友人の小西良太郎さんの紹介で知りあった。何年間前に開講した「スポニチマスコミアカデミー」で講師として招いた。ここで吉岡さんは「作詞する際に登場人物の血液型を考える」と「さざんかの宿」の例を挙げられた。「くもりガラスを手で拭いて/あなたあしたがみえますか」の歌詞の場合、情事のあと男は所在なげにくもりガラスをふく。その後ろから女がこともなげに「明日が見えますか」とつぶやく。血液型は男がA型、女がO型だという。物の本によると、A型は神経質で、責任感が強い。慎重派で涙もろいとことがある。一方O型は明朗で人情味が厚く、負けず嫌いであると言う。なるほど歌詞を膨らましてゆくには血液型を決めればいろいろに発展してゆくようである。このケースでは男は小心翼々、女は度胸が据わっている感じである。さらに、石川さゆりの『天城越え』にしてもその年の紅白歌合戦のトリの歌にしようという野望のもとに、吉岡さんと作曲家、弦哲也さんと現場を歩いて土地のにおいと風を感じて曲を作り上げたそうだ。その野望はその年の暮れに見事に果たされた。ヒット曲を連発するにはそれなりの努力がいるのが良くわかる。
吉岡さんは人それぞれに『人生歌』を持っているという。吉岡さんの場合は『大利根月夜』(作詞・藤田正人、作曲・長津義司)である。戦前、失意の父親と樺太を去る時港で聞いたのがこの歌であった。涙が自然に出て止まらなかったという。「あれを御覧と/指さす方に/利根の流れを ながれ月/昔笑うて眺めた月も/今日は今日は/泪の顔で見る」十代の吉岡少年の涙を誘ったのは利根の流れと月であったのか、それとも用心棒平手の行く末か・・・。歌は人を感傷的にもろくさせる魅力を持つ。私も経験がある。昭和43年10月メキシコのオリンッピクに取材に出かけた際、大会前、国立競技場でリハーサルが開かれた時である。トリオロスパンチョスが歌った日本の歌「さくら」を聞いて自然と涙が出てきた。「さくら さくら/やよいの空は 見渡すかぎり/かすみか雲か 匂いぞ出ずる/いざや いざや 見にゆかん」日本を離れ2ヶ月。なぜ涙が出てきたのかよくわからない。異郷の地で聞く「さくら」は格別であった。歌の魅力をいろいろと教えていただいた吉岡さんである。忘れていた昔のことを次々と思い出した。心からご冥福をお祈りする。
(柳 路夫) |