花ある風景(379)
並木 徹
からっぽの頭大事に冬帽子 林ヨシ子
寺井谷子著「風の言葉」−九州俳句歳時記(文学の森刊・平成21年11月18日発行)を読んだ俳句同人が『「空っぽの頭大事に冬帽子」に頭をがーんとやられた感じがした。自分のことを歌われたと思った。この歳時記を見て自分の無知を知った。もっと勉強しなくては・・・』と感想を漏らした。彼は新調したばかりのしゃれた帽子をかぶっていた。私の冬帽子はイタリヤ製のベレー帽であった。九州の風の言葉の歳時記で話が弾む。
この歳時記に選ばれた作品は、九州在住の作家のもの、「九州」で読まれた句という枠を設けて、西日本新聞に平成12年1月から4年にわたり連載された。有名、無名の俳人の句がある。1月から12月まで私の気に入った句を選び鑑賞したい。
「昭和に戻ろうとする軍手が干してある」江崎美実
「戻る」「軍手」に託した思いに「戦い」の時代であった「昭和」、昭和十年代の空気に似てきつつある「今」へ身構えをすると、著者は評する。我が家の軍手は、いまや庭の雑草を取る際に使われる。泥だらけになる。これが一仕事である。時にはマンションに移ろうかという話にもなる。作者にはそれなりの思いがあるのだろう。はっと胸を突かれる。私には思いもつかない句であった。
「使はずの子の部屋二つ春寒し」森光ゆたか
我が家にも長女・長男が使った部屋が二階にそのままになっている。長男の部屋には読んだ本がある。文学全集からたくさんの外国の推理小説が残されている。母親が「処分したい」といっても「そのままに残しておいて・・」という。親心はこのようなものであろうか。
「神かけて祈る恋なし宇佐の春」夏目漱石
新春には府中の大国魂神社と靖国神社にお参りするが、『恋』を祈ったことがない。平凡に『家内安全』と『仕事の成就』を願う。著者は「厳粛な初詣より、春の気配漂う中においたほうが似つかわしく思えて、春光輝くころになると宇佐神宮の鮮やかな朱の色とともに思い出す一句である」という。
「うかつにも軍歌になった桜はらり」荒木文夫
著者は書く「昭和2年生まれの文夫は、16歳で少年航空兵として志願している。咲き満ちた桜の下に佇つ時、常に「同期の桜」の歌が胸中に流れたであろう。『うかつにも軍歌になった桜』には、万感の思いが籠もる」。今年も靖国通りの桜は3月下旬には満開となった。靖国神社ではいくつもの陸海軍の戦友会が開かれている。「戦友は別の桜を見ていたり」宮部鱒太の句も紹介されている。
「憩ひゐし石に一礼遍路去る」児玉南草
著者は「美しい同行二人の姿」をみる。私は謙虚さを感じる。
「おお葉鳴り 君に電話草の指」岩切雅人
著者は「『ルルルル』と鳴る呼び出し音が聞こえてきそうな青春賛歌」という。「恋人への電話。瑞々しい葉鳴りの音は恋しさを煽り、番号をまわす(今は押す、であろうか)指先の高ぶりと震え」とも表現する。75歳から俳句を作り始めた私にはこのような機会が訪れないのが残念である。俳句はすばらしいものであるとつくづく思う。
「青梅雨になりけり阿蘇の広さかな」阿波野青畝
絵を趣味とする友人は阿蘇を画題によく選ぶ。東京で開かれる展覧会にも出品する。「広大な大阿蘇の緑の中で作者は改めて『青』の力を実感したのであろう』と記す。
「飛魚(あご)飛んでゐる間も地球回りをり」麻生勝行
大きな句だと思う。「地球回る」という発想が浮かんでこない。
「月見草死者の番地は水の上」谷口慎也
俳句はすごい。しかも奥が深い。無限といってもよい。「死者の番地は水の上」私は著者と同じく広島の川を思い浮かべた。
「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」金子兜太
兜太は昭和33年から35年まで日銀の長崎支店に勤務した。「被爆した長崎が俯瞰図として浮かび上がり、被爆地の悲鳴が聞こえる。この一句が強靭な供花として今も鮮烈なのは、単なるレクイエムや空弾に終わらず、生き継ぐ人間の生命の力を実感させ得るからである」と著者は記す。
最後に小学校1年生(平成12年9月5日掲載)の山本泰三君の句を紹介する。山本君は長崎県五島に住む。3歳のときから俳句をはじめた。
「おかあさんとぼくときどきこわれるあいがある」
頑張れ 泰三君。
『風の言葉』を座右の書として俳句の道に精進し、「強く、やさしい風が私の心をゆさぶってくれること」を祈ってやまない。
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