2010年(平成22年)4月1日号

No.463

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安全地帯(279)

信濃 太郎

納豆としじみに朝寝おこされる
 

のんびりと、橘健一著・桜井正信監修「江戸東京千年の士魂を探る」(藍書房・2010年2月14日刊)のページをめくっていたら、「納豆としじみに朝寝おこされる」の句にぶつかった。江戸時代の長屋の朝はこうしてにぎやかに始まったようである。まことに情緒がある。私は朝起きるのは7時から7時半の間である。納豆売りもしじみ売りの声も聞こえない。朝はパン、牛乳、サラダ、ハム、コーヒーと決まっている。コーヒーに蜂蜜とエゾウコギのエキスを入れて飲む。江戸時代は納豆としじみが安いこともあって朝の膳には欠かせなかったらしい。
 江戸川柳には面白い句が多い。「人は人なぜかえらぬとおやじいひ」。友達と遊び所に泊まってきた息子がともだちとの付き合いなどと言い訳をすると親父が、他の人は他の人だと言って叱っているのである(濱田義一郎・佐藤要人監修「俳風柳多留」(社会思想社)。前出の橘さんの本によると、遊所・吉原は明暦3年(1657)の大火ののち浅草寺うらの日本堤に移された。この場所は江戸の市中から離れておらず、千住で日光道中と水戸道中に分かれる交通の交差地にあった。浅草寺の参詣のお客も見込めたという。このほか非公認の岡場所も深川、本所、京橋、日本橋、神田、浅草、本郷、牛込、四谷等に散在していた。江戸中期の享保年間(1716−1735)男が女の2倍の三十万人であった。昔も今も男は助平である。
 江戸の教育の場・寺子屋の話は興味深かった。江戸時代、江戸には寺子屋が1128ヶ所もあった。言葉づかいからしつけ、師弟関係まで説いたから、現代の初等教育は一体どうなっているのかと、言いたくなる。先生は町人48%、藩士37%、僧侶・神官が15%となっている。懐具会の悪い武士にとって寺小屋の師匠は格好のアルバイトであった。また女性の手習い師匠は全師匠の35.5%を占めたというから驚きである。「侍がきては買ってく高楊枝」。武士はくわねど高楊枝。何事もやせ我慢するのが武士であった。戦時中軍の学校で学んだ私は当時の生徒隊長から「士官候補生の矜持を保ち、やせ我慢をすべし。役に立たない不平不満を言うべからず」と教わった。高楊枝をくわえる気持ちはよくわかる。それにしても今の子供はやせ我慢ができない。今こそ寺子屋の精神が必要ではないか。江戸を知りたければ橘さんのこの本を熟読玩味すればよい。どうも話が年寄りくさくなってしまった・・・