花ある風景(373)
並木 徹
楽しからずや元スポニチ登山学校課外授業
誘いを受けて元スポニチ登山学校の課外授業に参加した(2月6日、7日・伊豆方面ツアー旅行)。新宿西口に午前7時30分、集合。参加者は元登山学校の生徒3期生2名、4期生2名、6期生3名、7期生、8期生各1名、9期生1名、計12名。それに前校長尾形好雄、元校長八木原圀明、ドクター住吉仙吉、講師岩崎洋の各氏と名誉校長の私を入れて合計16名であった。発案者は尾形前校長のようである。昨年7月に出した著書「ヒマラヤ初登頂 未踏への挑戦」(東京新聞出版局)の売れ行きが好調でこの種の山の本では4000部を完売したという。山の作家としてもデビューする意気込みのようである。
ともかく伊豆方面に向けて出発する。進行係は京極伸さん。この人は何事にも積極的である。入校の初日、尾形さんから「自分が極限状態に置かれた時でも、他の人に思いやりの心を持って行動する人」が、リーダーとしての資質ですと教わったのを拳拳服膺してきた。まずビールで乾杯、次いでお酒で乾杯する。たちまち話がはずむ。みんな楽しげである。聞きしに勝る酒豪たちである。マイクロバスに運び込まれたのはお酒1升ビンで5本、焼酎3本、ワイン12本(フランス、イタリアの名産)、ビール缶多数。于武陵の「勧酒」の詩を思い出す。
勧君金屈巵(君に勧む金屈巵) 満酌不須辞(満酌 辞するを須いず)
花発多風雨(花発けば風雨多し)人生足別離(人生別離足る)
これを作家の井伏鱒二さんが名訳を施した。「此の盃を受けておくれ。どうぞ並々つがしておくれ。花に嵐のたとへもあるぞ。『さよなら』だけが人生だ」(扇谷正造著「新ビジネス金言集」青葉出版)。みんなの酒杯は金の杯ならず紙コップである。山を通じて人と人のめぐりあいの何と楽しいことか・・・
午前11過ぎ熱海梅園に着く。今は梅祭りの真っ最中である。かなり混んでいる。梅園の歴史は古く、1885年(明治17年)豪商が梅、松、桜など3000本を植えたのが始まりだという。芭蕉の句碑もあった。「梅が香にのっと日の出る山路かな」。物の本には『のっと』の表現に芭蕉の門人たちが感嘆、模倣者が出たという。中山晋平記念館にも入る。私には「カチューシャの唄」がでてくる。
バスの中で住吉ドクターから「第六高等学校同窓会報」第8号(2009年8月)が回ってきた。住吉さんがエベレストのふもとで見た幻の花『青いケシ』とヒマラヤを超える『ソデクロヅル』の話を書いている(住吉さんは六高の昭和22年卒業生)。住吉さんの話によれば、亡くなった政治家、安倍晋太郎は1年先輩で同じ寮で寝起きした。剣道部でも同じで、豪快な人であったという。それに比べると「晋三はだめですね」と言うことであった。昼食は伊豆大仁の豆腐料理の店で頂く。午後1時半すぎであったのでおいしかった。
淨蓮の滝を見る。滝をバックに野田文子さんを中心に期せずして「天城越え」(作・吉岡冶、作曲・弦哲也)を合唱。周りの人々はこの寒さにめげずに滝に絶唱を奉ずる一団を呆れたように見ていた。スポニチ大仁山荘へ。ここの料理はいつきてもおいしい。もてなしは最高である。この夜は「アンコウ鍋」であった。
山行の後のお酒が格別だと皆が一様に卒業作文集に書いていたがこれほど酒豪とは気がつかなかった。登山学校校則の第一条には「山に親しみ、山を愛し、山から学ぼう」とある。これに「こよなく酒に親しみ、愛しよう」を付け加えなくてはなるまい。(第二日の酒行を私は都合により棄権した)。
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