2009年(平成21年)12月1日号

No.451

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安全地帯(268)

信濃 太郎

大正時代終わる(大正精神史・大正15年)
 

大正時代は大正15年12月25日で終わる。明治が45年、昭和が64年に比べると短命である。大正生まれとしては残念である。天皇誕生日(天長節といった)はいつかと、よく友人たちに聞いた。誰も答えることが出来なかった。8月31日である。大正天皇は明治12年のその日にお生まれになった。
 大正天皇は漢詩に長ぜられていた。作詩は1367首におよぶ(甘露寺 受長著「天皇さま」より)子供の時から川田 順さんの父、川田 剛さんや二松学舎の創始者、三島 毅さん(当時東京帝国大学教授、1830−1919)の指導を受けられた。三島さんが八十歳になった時、お祝いの漢詩をつくられた。

     白髪朱顔志益堅
     朝朝説道侍経筵
     後凋松柏堪相比
     冒雪凌霜八十年

 ※註 経筵(けいえん) 天皇が経書の講義を聞く席を意味する。

 即吟というが見事な漢詩である。意訳するとつぎようになる。
 李白の詩にも歌われているような品のよい老人、その人の志はますます堅く、朝ごとに天子のそばにはべり、帝王の道を説く。操を守り、教えているその様は、いささか衰えたとはいえ、常緑の松と柏に比べても遜色はない。さぞかし苦労の多かった八十年であったろう。時に天皇は31歳であった。
 昭和天皇が皇太子時代の大正10年3月、外遊されている。大正天皇がこの外遊を後押しされたのはあまり知られていない。この時代、皇太子の外遊について”夷狄”の国に行かれることにもってのほかであるという頑迷に唱えるものがいた。元老の西園寺公望や当時の原敬首相も西欧のデモクラシー思想に触れさせようと推進していた。もともと大正天皇は東宮時代に外遊をしたいと思われたのが内外の事情によって実現されなかった。明治32年に作られた、自分のご心境を歌われた漢詩「夢遊欧州」が残っている。それには「倫敦伯林游観遍 文物燦然明憲章 誰問風俗弁長短」とある。大正天皇の外遊の思いが22年後になってはじめて皇太子によって実現する。
 原 武史著「大正天皇」(朝日選書)には皇太子時代、自由奔放な振る舞いをされた人間的なお姿を紹介している。明治33年(1900)10月九州各地をまわられたが、熊本へ移動する列車のなかで、福岡知事に「汝は煙草を好むや」といって煙草をさし出されたり、香椎の宮境内で松茸狩りをしていたところ、あまりにとれるので「ことさらに植えしにあらずや」とのべてヤラセを見抜き、関係者をあわてさせている。
 子煩悩なお方で、明治45年、天皇になられるまで、三人の子供たちと相撲したり鬼ごっこをしたりされた。ときには皇后さまのお得意のピアノの演奏に合わせて軍歌や唱歌を歌われた。
 大正天皇の帝国議会開院式での「遠眼鏡事件」について触れないわけにはいかないであろう。帝国議会の開院式で詔勅を読まれた大正天皇が詔勅の巻紙を丸めて遠眼鏡のようにして議員席を見回したという事件である。平成14年3月29日の公開された「大正天皇実録」にはその記述はない。事件が起きたとされる大正元年12月27日の項には「午前9時青山離宮御出門宮城に出御の後(中略)貴族院に行幸」とある。原武史は「天皇の精神状態を印象づけるために多分に脚色された風説だったのだろう」と、その著書「大正天皇に書いている。私はお傍に仕えた女官が言うように「几帳面な天皇が読み上げた詔勅の巻紙がよく巻かれたどうか確認するために覗くしぐさをされたのを誤解されたのだ」と思う。気さくでユーモラスな大正天皇のお姿を私はそこに見る。
 大正天皇は大正10年11月25日、皇族会議で摂政を立てられることが決まり、政務を皇太子裕仁親王殿下にお譲りになられた。この時、皇太子様は20歳であった。
 大正天皇は冬、沼津、夏、日光に養生をされたのだが大正15年5月ごろからお加減が悪くなり、その年の12月25日、葉山御用邸で崩御された。毎日新聞記者、富樫 準二さんはその著書「天皇とともに50年」に取材の苦労話を書く。毎日新聞は政治、社会、地方部のデスク以下30名近くを特派し、民家を借り受け電話の急設や夜具、布団の運搬やらテンヤワンヤ。ところが葉山郵便局と東京間の電話回線が少ないため電話争奪戦が展開され問題となった。おたがいに悲鳴をあげた結果ご容態はすべて宮内庁でも同時発表することで解決した。今も昔も現場の騒ぎは変らない。
 大正天皇が新嘗祭(11月23日)の折によまれた最後の御製は印象ぶかい。
 「かみまつる わが白妙の そでの上に かつうすれゆく みあかしのかげ 」