2009年(平成21年)3月1日号

No.424

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
連載小説
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

茶説

かかる高級官僚ありき
 

牧念人 悠々

 高級官僚として己の仕事を見定めて業務を遂行、退官後も己の信念を貫いた庭山慶一郎さんに次の「論語」の言葉を贈る。「子曰く、君子は義以て質と為し、礼以て之を行い、孫以て之を出だし、信以て之を成す。君子なるかな」。
 お役人にこのような立派な人がいるとは知らなかった。己の無知を恥じるばかりである。毎日新聞から出版された庭山慶一郎著「懐旧九十年」(2008年12月10日発行)は生涯ジャーナリスを目指す私に多くの指針を与えてくれる。庭山さんの「租税哲学」がよい。常にこの人の目線は庶民の立場である。
 爾俸爾録(なんじのほう なんじのろく)
 民膏民脂(たみのこう たみのし)
 下民易虐(しも たみしいたげやすく)
 上天難欺(かみ てんあざむきがたし)
 五代(907−960)前蜀の頃、ある城主が城門に戒石碑を建てこの句を刻んで舞朝出勤する家臣に読ませたという。現代、日本のお役人には自分たちの月給が国民の血とあぶらで納められた税金で支払われているのをあまり感じていない。国民を虐待することばかりを考えているように見える。天をだますことはできない。夢、無駄遣いをしたり、公金をだましとったりしてはいけないのは言うまでもないことだ。この詩は役人たちをそのようにいましめている。
 庭山さんはいう。「まず租税ありき」という考え方は間違っている。世の中には租税以外にもいろいろ負担がある。各種の社会保険料や地域社会での負担がある。それらを勘案すべきであるというわけである。納税者の利益のためにも発言しなくてはいけない主税局が増税ばかりを考えていては国民はやりきれない。租税と年金が現実の課題になっている現在より50年も前に庭山さんは「社会負担と租税負担」を発表し、講演している。大蔵省主税局調査課長時代の話である。
 「増税なき財政再建」を庭山さんが初めて主張したのは昭和55年7月鈴木善幸内閣時である。その前の大平正芳内閣時代、石油ショックで財政が悪化した際、一般消費税問題が起きた。庭山さんはNHKの政治討論会(岡村和夫記者司会)に出席次のように発言した。「増税によって財政の健全化を図るやり方は誤りである。政府の財政運営には多くの無駄があるから、行政改革によって歳出を削減する方が先だ。自ら合理化をしないで、国民に増税をすることは誤っている。特に、一般消費税はまだ国民の理解を得ていない。増税でなく行政改革によって財政の再建はできる」彼は提案する。財政再建のために国会議員以下国家公務員の定数を減らしたり、許認可事務を少なくして行政の手数を減らしたりするのは当然だが、重要なことは粗くて甘い役所の予算の作り方である。お役所のお金の使い方を合理化すれば増税どころか減税できるという。また公共事業は一般入札にすれば政府の支出が3割は節減できるはずで、地方公共団体の分を含めると何兆円もの財政支出の削減が可能となる。「増税は最後の手段だ」という。この認識が今の日本の政治家にない。高騰する老人医療、介護老人の増加、要保護世帯の激増など政府支出の増加から諸費税率のアップも仕方がないかとあきらめかけていたが勇気を得た。
 国には売り払うことができる財産がたくさんあるという。公務員宿舎だけでなく、霞ヶ関には大きな土地と立派な各省の庁舎がある。これらを売り払って役所は借家人になればよい。新宿の豪華な都庁舎も同じである。そうすれば都に固定資産税が入る。霞ヶ関や新宿の広大な土地や建物を売り払ったら巨額の収入になる。住民税も固定資産税も減税できる。
 さらに日本の外貨準備高にも及ぶ。現在約1兆ドル、約100兆円である。これは多すぎる。日本の貿易その他の対外収支を考えれば3千億ドルあれば十分である。7千ドル、約7千億円を売却して民間銀行に移せば、それだけ国債の残高も減り、国債の利子も減って財政赤字の改善もできる。借金をして100兆円もの外貨を持ちながら増税するというのではだれも納得がゆかない。
 いま、増税(消費税率の引き上げ)を論ずる時期ではない。政府が徹底的にディスクロージャーをし、すべての「含み」を吐きだし、丸裸になるのが先決であると庭山さんは訴える。この本で庭山さんが最も書きたかったことは日本で最初の住宅金融専門会社の設立から辞任・後始末で見せた「経営者としての庭山」の生き方であろう。その20年は人間庭山の集大成であった。彼の面目が躍如としている。三和銀行から頼まれて会社を設立(昭和46年)、社長に就任する。通勤に車を使わず、大きな社長室も作らず社員との「心のつながり」を大切にする。庭山さんは常に新しいことを編み出す。昭和6年にできた「抵当証券法」を使って「住宅ローン債権信託」を作って資金を集めそれを使う。日本における債券の証券化の嚆矢である。外債発行も考える。やがて後発で同じような会社が出てきただけでなく住宅金融公庫と銀行まで住宅ローン市場を占領する。さらにそれに「総量規制」(金融業界に対し土地融資を全面的に禁止する通達)と増税(地価税の導入、土地譲渡所得重課、諸費税5%への税率引き上げ)が追い打ちをかけた。これは大蔵省の失政であった。日本経済を破壊しその後長期にわたる経済不況の元凶となって国民を苦しめた。庭山さんの会社も大きな被害を蒙った。平成4年6月には社長を辞任する。世をあげて住專バッシングの中、国会に参考人として出て堂々と政権政党、大蔵省などの責任を追及する。マスコミは自分の意と合わないことは報道しなかった。当時、スポーツ新聞に在籍していた私は「住専は悪い奴」と思いこんでいた。マスコミの一人として慙愧に堪えない。その後住宅金融債権管理機構との戦いが始まる。ここでも私は誤解した。住専に六千八百五十億円の税金が投入されたとばかり思い込んでいたがその金は農協救済のためであった。ここで庭山さんは「法律的解決」を求めず「道義的責任」をとる。住管の要求を認めて支払う「賠償金」ではなく、自発的に支払う「寄付金」一億二千万円を差し出す。「私財提供」である。このような人物を見たことがない。文句なく尊敬する。生涯、論語を読み、孔子の教えを信条として生きた男の真骨頂をここに見る。私に論語の言葉が胸に刺さる。「子曰く、賢を見ては、斉しからんことを思い、不賢を見ては、内に自ら省みるなり」。