2008年(平成20年)11月10日号

No.413

銀座一丁目新聞

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茶説

田母神俊雄元空幕長の論文に思いを致す
 

牧念人 悠々

 心ある日本の国民よ、問題となった元航空幕僚長、田母神俊雄さん(60)の「日本は侵略国家であったのか」の論文の全文を読んでほしい。非難するマスコミの論調にとらわれずに、よく考えて貰いたい。大東亜戦争の光と陰について多分に「光」の部分を強調する過ぎる嫌いがあるにしても、この論文の結論は「日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つすばらしい國なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りをもたなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分 の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見てゆくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることが分かる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」というところにある。
 「憂国の論文」といえる。けして制服の「独善」と「思い上がり」ではない。そのように批判する者こそ戦後教育の「呪縛」に陥っている。そのことに気がつかないものが少なくない。
 政府が田母神空幕長を更迭した理由は「空幕長が日本は侵略国家でなかった」と主張した点にある。考えてみるがいい。過去百年欧米諸国はアジア、アフリカを自国の発展のためと称して攻めて植民地にし、収奪してきたではないか。それでも欧米諸国は一度も「侵略した」とは言っていないし、謝罪もしていない。何故かといえばそれは国際法による。戦争には「自衛」と「侵攻」がある。自衛か、侵攻かはそれを決めるのは当事国に任されているからだ。だから欧米列強はすべて「自衛戦争だった」というのである。田母神論文が「もし日本が侵略国家であったというなら、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい」という理由である。それにもかかわらず日本は平成7年8月15日、村山富一首相が「首相談話」で「我が国は遠くない過去の一時期植民地支配と侵略により・・・」と侵略を認めてしまった。それをいまだに引きずっている。個人が戦争を侵略と認めてもよいが、国としてはあくまでも自衛戦争であったと解釈しなければならない。ここで日本は国家として大きな過ちを犯した。中国の国防大学の教授が「戦争の責任は双方にあるのに日本人は責任を日本にあると決めてかかるのでは話にならない」といった言葉を思い出す(2007年11月20日号本紙「追悼録」)。
 日本は表現の自由・思想の自由についての認識をもっと深めてほしい。役人が外部に論文を発表してどこが悪いのか、内容も当たり前のことを述べているにすぎない。むしろ考えさせられるところが少なくない。たとえその内容が国の方針と反しても「現実・かつ・明白の危険」の存在(米国・ホームズ連邦最高裁判事の学説)がなければ認められるべきものである。防衛相、防衛事務次官などが指揮監督義務違反で処分を受けたが,おおげさすぎる。政局を絡めた野党対策としか見えない。田母神論文が世に問うた意味は大き いものがある。それを矮小化してことを納めようとするのはおかしい。しっかりと受け止めよ。
 ユダヤの格言に「神は正しい者を試される」という言葉がある。田母神俊雄さんの今後を期待してやまない。