2008年(平成20年)11月10日号

No.413

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

追悼録(329)

月見れば千々に物こそ悲しけれ

 「月見れば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」(「古今集」巻4,193)の歌について細川幽斉は「秋ならねども」と平板に詠むより「秋にはあらねど」の方が断然すぐれている、まさに一字千金の「字余り」であると激賞したという(佐竹昭広著「古語雑談」・岩波新書・1986年第一刷発行)。西行法師も好んで「字余り」の歌を作ったようだ。俳句を作っていると私など字余りの句がよくできる。「一字千金」ではなく、冗長、駄作であるのにすぎない。1100年も前にすぐれた歌人がいたものである。もっともっと精進しなければと己に言い聞かせている。
 「月見れば・・」(大江千里作)の歌は正月の百人一首のカルタ取りでよく聞いた。家には「百人一首のカルタ」が必ずあったものだ。残念ながら今、我が家には「百人一首のカルタ」はない。芭蕉・去来・蕪村・一茶「俳聖カルタ」があるにすぎない。
 大江千里は生まれた年も死んだ年もわからない。平安前期の歌人。和歌にすぐれ、903年(延喜3年)醍醐天皇の時、兵部大丞などを歴任。寛平6年(894年)、宇多天皇の勅命によって「句題和歌」を奉っている。
 百人一首の千里の作品は、全訳注・有吉保「百人一首」(講談社学術文庫)によると、白楽天の詩「燕子楼中霜月夜,秋来只為一人長」を典拠にしたとみられるとしている。白楽天の旧知である徐州の張氏の愛妓が張氏の死後どこもへも嫁せず、邸内の燕子楼という小楼に十年来独居しているのを詠んだもので、燕子楼に霜夜の月が冴えている今宵は、事に昔が思い出され眠れない、秋の夜はただ自分一人だけのために、このように長いのだろうかという内容である。有吉保は「千里の歌には秋の悲哀感という単調な情緒だけでなく、ほのかな艶の感じられる点もあり」と評している。
 確かに俳句を作りだしてから俳句の本だけでなく詩集、漢詩、歌集はもちろんのこと言葉、漢字に関する本も読むようになった。「古語雑談」にしても22年前に出た本で、すでに読んでいるが、改めて読み直すと、その都度感ずることが違ってくるし、面白さも出てくる。「一字千金」の字余りの俳句を作ってみたいと思う。俳人寺井谷子は「5・7・5」の基本にはうるさいが、内容とリズムを大切にして必ずしも「5・7・5」にはこだわらない。長い句の例として次の句をあげる。

 「芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな」芭蕉(8・7・5)
 「凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり」高浜虚子(7・6・7・5)

 まことに俳句、歌、詩の世界は奥深い。
 

(柳 路夫)