2008年(平成20年)11月10日号

No.413

銀座一丁目新聞

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安全地帯(231)

信濃 太郎

メンデルスゾーンの「エリア」を聞く

 合唱団「アニモ」の第10回記念演奏会でメンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」作品20を聞く(11月3日・川崎市。ミューザ川崎シンフォニーホール)。演奏は東京交響楽団、指揮・秋山和慶。バス(エリア)三原剛、ソプラノ(寡婦・天使)佐竹由美、ソプラノ(若者・天使)馬原裕子、アルト(天使)加納悦子、アルト(王妃イゼベル)押見朋子、テノール(宮廷長オバドヤ)五郎部俊朗、テノール(イスラエルの王アハブ)高橋淳、バス・成田博之、合唱・合唱団「アニモ」ソプラノ・85人、アルト・62人、テノール・17人、バス・12人合計176人。メンデルスゾーンが聖書「烈王記」に題材をとり予言者エリアを中心に神をたたえた物語風の楽曲である。オラトリオ作品で有名なのはヘンデルの「メサイア」。キリストの生涯を3部に分けて描き7つの物語と17のアリアと17の合唱からなる。「エリア」はこれ以上である。2部に分かれる。レジティーヴォ15、アリア8、アリオーソ2、合唱21である。まことに壮大な楽曲である。若いころ「読むべきは聖書なり」と植物学者に教えられそれなりの関心を持っていたもののその奥行きはきわめて浅い。
第1部、三原剛のバスに圧倒される。エリアはギレアデのテシペに住むテシペ人である。イスラエルの王アハブに語りかけるところから始まる。「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。私が告げるまで、数年の間、露も降りず、雨もふらないであろう」とバスがひびく。
旧約聖書から引用されているのは「列王記上」50回、「同下」1回、「詩編」24回、「イザヤ書」16回のほか「申命記」「エレミア書」その他などとなっている。
合唱が「主よ助けてください・・・」と答える。さらにレシタティーヴォ 合唱で「乳飲み子の舌は渇いて上顎に付き 幼子はパンを求めるが 分け与える者がいない」と歌う。“地の全面からあがる民の娘の声”は悲痛である。1年掛けて「エリア」と取り組んだ「アニモ」のメンバーの顔は輝いていた。
アハブ王の宮廷長オバドヤは心から主を畏れ敬う人で、イゼベル(王妃・異邦の神バアルを信ずる)が主の予言者を切り殺したとき、100人の予言者を助け出し50人ずつ洞穴にかくまった信仰の厚い人であった。イスラエルの民に主の信仰に戻るように迫る(列王上第
18章3〜4章)。主は、エリアがイゼベルからの迫害と干ばつの苦しみから逃れるために天使を使わしてゆく場所を示す。そこで主の言葉を伝え「壺の粉はつきることなく、瓶の油はなく ならない」御利益や死んだ寡婦の息子を生き返らせる奇跡を起こす。最後に400人のバアルの予言者と対決してエリアが勝利する。すべての民はひれ伏し「主こそ神です」という。エリアはバアルの予言者をすべて捕らえるように民に命じ、彼らをション川に連れて行って殺す(列王上第18章40節)。対決の場面の交響楽団の調べは最高潮に達する。瞑想して心地よくそのシーンを想像する。
第2部は、エリアが再び迫害されるところから始まる。エリアはアハブ王が主の戒めを忘れバアルを崇拝した罪を指摘、「イスラエルは再び見捨てられる」と予言する。イゼベル王妃も民衆を扇動する。エリアは死を願うが神の使いに助けられる。40日40夜歩き続けて神の山ホレプにたどり着く。合唱は「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マタイ伝第24章13節)と歌う。主の命に従いホレプ山を下り、ダマスコに戻るためにシナイの荒野の道を引き返す。再びバアル崇拝者と戦うためである。
終曲の合唱は「あなたの御名はいかに崇高に全地に満ち、人は誰でも天にいられるあなたに感謝します」(詩編第8章第1節)で結ばれる。
「読むべきは聖書なり」「聞くべきはエリアなり」とつくづく思う。この演奏会は友人星野利勝、信子ご夫妻の招待で霜田昭治君とともに聞いた。「文化の日」にふさわしい一日であった。