2008年(平成20年)9月20日号

No.408

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

安全地帯(226)

信濃 太郎

ひたすらに国を思いて幾山河

 同台経済懇話会の会報「故瀬島龍三追悼詩歌集」の追悼記念特別号が出た(9月4日号)。瀬島龍三会長は昨年9月4日死去された。会長を偲んで有志が詩歌を捧げた。表紙の胡蝶蘭の写真(同期生・霜田昭冶君撮影)に「ひたすらに国おもいて幾山河 越えて咲にし 防人の花」(詠み人知らず)とある。この特別号の趣旨を読み切っている。
 代表幹事、山本卓眞さんは「幾山河 越えさりてなお 果てしなく 国への勤め ただひたすらに」と詠む。同期生の詩歌を紹介する。

 「梅は寒苦を凌んで後清香を発し
 人は艱難を嘗めて後成功を生ず
 光陰矢の如く豈軽んずべからず
 刻々の修錬之れ大成の基いなり」(井上成一)
井上は二宮尊徳の著名な研究家である。

 「凍りつくシベリアの地に 囚われて 故国想いつつ鏝(こて)使うとは」(小林次雄)
小林は亜細亜大学で瀬島さんに仕えた。

 「天命のまま巨星逝く 砺波の秋」(梶川和男)
富山県砺波は瀬島会長の生まれ故郷である。

 「夏草や育め常温核融合」(鈴木正次)
後年、瀬島会長は「常温核融合」に注目され力を入れられた。

 「生きるとは学ぶことなり竹の秋」(園部忠)

 「帷幄謀将策終戦
  抑留辛酸黙不言
  終生尽邦家興隆
  国土偉業万古伝」(上野貞芳)

 「ひまわりの先に1945年の恋」(牧内節男)

 「行革の旗振りし時この国の
   百年の計示して悔いなし」(松山良三)

 「花醍醐昭和は何を残したる」(野地二見)

 「いまは亡き心の鑑 遠ざかり」(神田延祐)

 「後続く 我が日の本の 若人の
  知覧灯篭 見るぞ希しき」(渡辺瑞正)

 廣瀬秀雄は瀬島会長から頂いた立峰の号のある色紙を提供する。
「本名毎在窮苦日 敗事多固得意時」

 京王線沿線の広瀬秀雄、梶川和男、後藤久記、服部友康、牧内節男は瀬島会長の一周忌を前に9月1日午後、明大前駅に集まり近くの東本願寺にある墓に詣で花を捧げた。
 昨今我々が集まると話題となるのが新井喜美夫の「転進 瀬島竜三の『遺言』」(講談社刊)である。なぜ史実・事実と違うでたらめを書くのかということだ。しかも瀬島さんが発言したかのごとく記すのは許せない。増刷されたと聞いてあきれるほかない。

 「生きる残るわれら命のある限り
 遺志を受け継ぎ国に尽くさん」(追悼詩歌編集委員会)