2008年(平成20年)9月1日号

No.406

銀座一丁目新聞

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茶説

映画「南京の真実」を見る
 

牧念人 悠々

 水島総監督「南京の真実」第一部「七人の死刑囚」を見る(8月25日・靖国神社遊就館)。東京裁判(極東国際軍事裁判)で死刑を言い渡された、いわゆる”A級戦犯”7名の絞首刑のシーンがあとまでも心に残る。土肥原賢二大将(渥美国泰)、東条英機大将(藤巻潤)、武藤章中将(十貫寺梅軒)、松井石根大将(浜畑賢吉)の組と板垣征四郎大将(山本昌平)、広田弘毅首相(寺田農)、木村兵太郎大将(久保明)の組に分かれて13階段を上る。全員死を前にして従容とした姿に感心される。7人とも「天皇陛下万歳」を三唱する。一組目は武藤中将が言い出し、松井大将が音頭を取る。二組は広田首相が「前の組が”まんさい”をしたから」と万歳を叫ぶ。それぞれに遺詠を残す。

「我が事もすべて終わりぬいざさらば さらばここらではい左様なら」(土肥原大将)
「我ゆくもまたこの土にかへり来ん 國に酬ゆることの足らねば」  (東条大将)
「現世のひとやのなかのやみにいてかの世の光ほのに見るかな」   (武藤章)
「朝暮、念心経 幽牢也法火 明光天地蓋 虚空可往生」      (松井石根)

「とこしえにわがくに護る神々の御あとしたひてわれは逝くなり」 (板垣征四郎)
「俺がおまえ達の道しるべになってやる」            (木村兵太郎)
「すべては無に帰して、いうべきことはいって、つとめは果たすと言う意味で自分はきた。自然に生きて自然に死ぬ」                          (広田弘毅)

「プロシード」(開始)の米軍大佐の号令と共に、米軍軍曹がレバーをひくと落とし板がすざましい音を立てる。7人の死刑囚の最期をみとる教誨師花山信勝師(三上寛)の沈鬱な表情が何とも言えない。翌日、東京・池袋の「巣鴨プリズン」の跡地「東池袋中央公園にある「平和の碑」「永久平和を願って」を訪れ、手を合わせる。私の気持ちがそうせざるを得なかった。サンシャインプリンスホテルの右隣に公園はあった。公園内には都市路上生活者が散見されたが、「平和の碑」の一角はきれいに清掃されて碑の前には花束が5つ備えられていた。裏面には「第二次世界大戦後東京市ヶ谷において国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑がこの地で執行された。戦争による悲劇を再びくりかえさないためこの地を前述の遺跡としこの碑を建立する。昭和55年6月」なおこの地で処刑された人々は60人に達する。
この映画は三部作で南京大虐殺がいかに虚構であるかを明らかにしようというもので、南京事件が初めて取り上げられた東京裁判を扱っている。しかも7人の死刑囚の死刑執行24時間を追う。
 南京事件は昭和12年12月13日南京陥落に伴い、同日夜から南京入場式が行われる12月17日までに城内で発生した中国市民虐殺事件をいう。東京裁判で主張された虐殺の数字は43万人である。多少の不祥事が起きたのは事実だが、当時南京の人口は20万人、それを倍する人数をどうして殺せるというのか、明らかに中国側の謀略宣伝によるものだ。東京裁判で証言した9人の内容はほとんど伝聞であった。証人として不出廷の者の誇張された南京虐殺事件の内容が事実に関する証拠として採用されてさえいる。エンディング6人の南京攻略戦に参加した軍人が虐殺を否定する証言を行っている。しかも日本の報道陣による南京入場2日目からの城内の模様がフイルムに納められている。これがなによりの貴重な証拠である。興亜観音まで作り日中の兵士の慰霊をした松井大将はたまた中支那方面軍司令官であった故に「大虐殺」の責任を問われた。中国側は昭和21年4月26日第6師団長谷寿男中将を南京法廷で裁き処刑している。大虐殺と言えば昭和20年3月10日の東京大空襲の死者9万人、広島、長崎原爆投下による死者30万人を数える。米弁護士プルークニーが東京裁判で敢然として「原爆投下」を追及するシーンは迫力がある。
東条大将は12月22日午後、花山信勝師に用紙20枚ほどにしたためた遺言を語っている。それによれば、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としてはどこまでも無罪を主張する。力の前に屈服した。自分としては、国内的な責任を負うて。満足して刑場に行く。ただ同僚にに責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及ぶたることは、実に残念であるという。
 同期生霜田昭治君はこの映画は能楽で、死刑囚が「シテ」、花山信勝師が「ワキ」の能と解釈すれば合点だ行くと感想を漏らした。まさにその通りである。世阿彌作「鵺」(ぬえ)のシーンが出てくる。とすれば源頼政がGHQで、紫宸殿で退治された鵺は7人の死刑囚である。この映画ははたして「鵺」は成敗されるべきであったのかどうか、日本人はその真実を見ようともしない。そのうえ「大虐殺」の責任まで負ってゆくつもりなのかと、我々を能楽の幽玄の世界に誘いこんで、厳しく問いかけている。映画は初めと終わりに桜の下に歩み寄る男の子(吉越拓也)と女の子(吉岡天美)を登場させる。霜田君は「七生報国」を意味するという。そうかもしれない。桜は勝者が敗者を裁いた裁判で不条理にも死んだ7人の化身。子供は未来の象徴。日本の将来を君たちに托すという意味が込められていると私は受け取った。

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