2008年(平成20年)9月1日号

No.406

銀座一丁目新聞

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追悼録(322)

伊藤和也さんの死を悼む

  伊藤和也さんの死ほど不条理にして残酷な死はない。日にちがたつごとに腹が立つ。「何故だ?」と叫びたくなる。8月28日のブログに次のように書いた。「アフガンで武装勢力に拉致された静岡県掛川市の伊藤和也さん(31)は射殺体で発見された。所属する『ペシャワール会』は『農村の生活改善がなければアフガンの復興もありえない』とあえて危険な地域に入り込み地元住民の役に立つことをしてきた。伊藤さんはサツマイモを植えるなど農業支援をして5年にもなる。それなりに地元に溶け込み信頼されていたという。無残というほかない。伊藤さんにしてみれば志半ばに倒れて残念であろう。ここにタリバン系武装勢力の非情さをみる。それがテロの本質だ。日本の青年が死を覚悟でアフガンの復興支援をしているのに深い感動を覚える。心から哀悼の意を捧げる」
何のためにアフガンの5年間だったのか。伊藤さんがアフガンに関心を持ったのは2001年9・1同時多発テロに対する米国の報復爆撃がきかっけだという。復興に関するニュースを見て「農業支援をしたい」という気持ちが強まった。「アフガンを緑豊かな国に戻したい」と2003年12月アフガンに赴いた(8月28日毎日新聞)。
「無名戦士」の歌の一節を思い出す。
「身を殺して 仁をなす
神州男児の 心意気
いざ見せばやと ただ一騎
向こうは万里 雲の外」
 伊藤さんの遺体は8月30日、日本についた。中部国際空港で父(60)、母(55)、妹(30)、弟(27)の家族4人が対面した。父親は「和也のやっていたことが、これほど大きかったのかと驚いている。自分のやりたいことが見つかり、できていた。本望と思う」(毎日新聞)。自分の息子のことを これほど言い切れる父親はそう多くない。
 ここでテロに実態を知ってほしい。今やテロ犯人は情け無用の輩である。「恩をあだで返す人種」である。西郷隆盛が言ったように「命もいらず、名もいらず、官位もいらず金もいらぬという人は始末に困る」。この始末に困る人でなくては大きな事業はできない。伊藤さんは事業半ばで倒れた。この遺志を継ぐ日本男児が次々に生れてくるのを期待したい。

(柳 路夫)

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