山と私
(46)
国分 リン
−霊気と友情の山「棒ノ嶺山」−
昨年の山の事故は60代が43%で一番、次が50代70代とニュースになっていた。私達の年代・団塊の世代に、より注意を促がす数字である。スポニチ登山学校では「山を汚してはいけません。山のご機嫌をうかがって登らせていただいているとの気持ち。だから悪天の時や、体調の悪い時に無理は絶対だめです」と教えられている。だがこの年代は無理を無理と思わず日本を支えた自負があると思う。
スポニチ登山学校の縁で知り合えたカメラード(岳友)は、辛い登りや素晴しい景色や達成感を共有し、枕を並べ、自分をさらけ出して付き合った仲間と思う。
私は5年前に病気で2ヶ月後あっという間にカメラードを失い、酷い喪失感に
襲われた。私以上に学友でありカメラードを失った輿石さんはと思い、「友の終焉の地へ今年は登らないの?」「単独行は家族が心配するので」「私が一緒に登ります」と、暑い7月21日に急遽実現した。バスの最終停留所から有馬ダムの堰堤を歩き20分程で山道に入ったら意外と涼しい。白谷沢沿いで水の音も涼を誘う。藤懸ノ滝の上を渡り左岸に天狗の滝下部が現場である。現在ロープが張られ道を間違えないようになっている。事故の1年後彼の追悼山行・スポニチ登山学校生23人が尾形校長とこの現場で別れを惜しむ儀式をした。待っていたかのように彼の帽子が仲間によって見つけられた。後頭部に穴が開き、打ち所の悪かった事実が証明されたようだ。ケルンを積みあげ、別れを惜しんだ。この帽子のことを亡き友を偲びながら輿石氏は、思いを書き家族や学友に知らせた。
私はこの文を読み、二人の親交の深さを知り、事故の無念さを深く思う。30分
程そこに佇み、ケルンを積み替えて、輿石氏から友の思い出話を静かに伺う。不思議に暑さは感じられず、霊気が漂っているようだ。 |