どうも日本人の言葉がおかしい。また言語感覚も鈍くなった。最近のその最たるものが「後期高齢者」。そのあとに「医療制度」とつくと、役人が高所から「お前たちのためにお金を召し上げてやる」という傲慢さが垣間見えてくれる。役人の気持ちがストレートに言葉になって表れてくる。これが「長寿者」となるとやや感じが違ってくる。4月から文句なしに82歳の私は健康保険料が年金から天引きされる。すでに介護保険料も年金から天引きされている。役人にしてみればあるところから差し引くのだから取りやすい。宙に浮いた5000万件の年金問題が未解決の時にこのような無常なことをやるのはひどすぎる。よくぞ「後期高齢者」と名付けてくれたものだ。
古い話だが、私たちが歌った「春の小川」(作詞・高野辰之、作曲岡野貞一・大正元年発表)は「春の小川は/さらさら流る/岸のすみれや/れんげの花に/においめでたく/色うつくしく/咲けよ咲けよと/ささやく如く」であった。それが昭和17年、小学校3年生の教材として歌詞を口語体に書きなおした。「さらさら流る」が「さらさら行くよ」、さらに「ささやく如く」が「ささやきながら」に変わった。文語体のままでもわかったであろう。何も書きなおす必要はなかった。「下手な改変だった」といまなお思っていると歌舞伎研究家の青木繁さんが「月刊前進座」(4月号)に書いている。戦前大本営は「退却」を「転進」と言い換えた。「下手な改変」から3年後日本は敗戦を迎えた。「言葉の乱れは心の乱れ、心の乱れは国の乱れ」と先人は教えた。言葉は大事にしなければならない。一内閣がかわるというだけではなく一国の浮沈にかかわる。
役人は「言葉」をもっと勉強したほうがよい。それには俳句をお勧めする。最近、知人の椎名陽子さんから送られてきた俳句同人誌「夢座」(159号)に埼玉県立近代美術館で開かれた「イメージを詠む―熊谷守一の絵から」と題する句会が紹介されている。参加者82名、164句が作られた。その中の句がすごい。一位「絵の中の黒の形持ち帰る」「百かぞえたら油絵になるあげは蝶」。私は「省いても女体は女体春一番」と「雪になるか女になるか思案中」が心に響いた。
選者の一人阿部完一さん(現代俳句協会副会長)が選評で「熊谷守一の作品を解説しちゃいかん。俳句は対象を説明するものではない。守一作品と戦う気じゃなければいかん」といったそうだ。私の胸にこたえる。お役人よ、言葉を選び、その言語感覚を勉強するには俳句はいいですよ。
「品格を問えば霰たちまち消える」 椎名陽子
「子年とて誰も知らない落とし穴」 |