安全地帯(211)
−信濃 太郎−
「大連2中20回生の会報に感あり」
母校・大連2中の20回生(昭和16年4月269名入学、昭和20年3月4年で繰り上げ卒業)。の会報「平成20年春季号」(第41号)が送られてきた。17回生の私より3年年下であるが、表紙を入れた51ページ、13項目の原稿を納め、読みごたえがある。そろそろ80歳を迎えるのに会報発行する世話人たちの努力は大変なものだと思う。
毎回歌の紹介から始まる。今回は「別れのブルース」(藤浦洸作詞・服部良一作曲・淡谷のり子歌)。話はこうだ。昭和18年の初冬、淡谷のり子が軍隊の慰問のために大連にきた。その時、河本守道(李守道、朝鮮全羅北道・伏見台小学校)が西広場劇場?で開かれる淡谷のり子のワンマンショウに友人たちを誘った。この時代、中学生はこのような劇場には入場を禁じられていた。みんな変装した。河本は鳥打帽に作業服、中田拓治はソフトに大人のオーバー、顔にマスク。ほかに3人ほどいたという。淡谷のり
子時に36歳、「18歳の中学生の目には、引き込まれるような妖精的美女でした。当時政府の方針でモンペ着用が強制されていたが『舞台衣装、これが私の制服です』といってモンペ着用を拒否し通した」と会報はつづる。20回生のために弁解すると先輩たちも変装して映画をよく見ている。見つかって停学を食らった者もいる。昭和19年1月から大連ドッグ勤労奉仕、軍用道路勤労奉仕、小平島防空監視哨などに動員された。小平島では敵の潜水艦を発見、旅順要塞司令部に連絡、旅順から駆潜艇が出動、爆雷を投下して撃沈する殊勲を挙げている。はじめ潜水艦を見つけ連絡したのだが信用されなかったらしい。二度目に見つけ連絡すると飛行機が飛んできて調べると潜水艦2隻を発見、そのうちの1隻を見事撃沈した。大連2中の生徒は、本心は真面目なのである。
時事問題を解説した「編集子思索」は有益である。これを読んでおれば世の中の動きはわかる。日本の食料、エネルギー他原材料の自給率をはじめ今の若者の生態まで書き込んである。
浦島幸昌の「国家の品格」の読後感はよかった。会津藩に「什の掟」がある。
一つ、年長者のいうことに背いてはなりませぬ
二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三つ、虚言をいうことはなりませぬ
四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五つ、弱いものをいじめてはなりませぬ
六つ、戸外で物を食べてはなりませぬ
七つ、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
この七ヵ条の後にこんな言葉で結ばれている。
「ならぬことはならぬのです」。
著者の藤原正彦さんはいう。「すべてを論理で説明しようとすることはできない」。
さらに藤原さんは言う。「主権在民には大前提として『国民が成熟した判断をすることができる』ということが必要です」この場合には民主主義は最高の政治形態である。今の自民党と民主党の「ねじれ国会」を見れば「成熟した判断をする」ことがいかに難しいかを物語っている。浦島読後感に刺激されて「国家の品格」(2006年1月20日10刷・新潮新書)をもう一度熟読する。
同級生の孤独死も報告されている。同級生たちが消息を追跡調査してまとめたものでその友情に感動するとともに世の無常を感ぜざるを得ない。 |