花ある風景(307)
並木 徹
「友人の展覧会を見て感あり」
「趣味は?」と聞かれて私はややとまどう。あえて答えれば、クラシック音楽を聴くこと、あとは芝居をみることぐらいであろうか。私は手先が不器用でずぼらな人間だと思う。
だから書や絵をかく友人、知人を深く尊敬する。福岡県筑後市に住む友人、下川敬一郎君が所属する会の展覧会があるというので東京・六本木の国立新美術館に出かけた(4月2日・会期は4月14日まで)。第67回「創元展」。びっくりした。美術館1階の展示室1A、1B、1C、1Dの4室の会場に会員1143点の絵が飾られてある。下川君の絵がどこにあるか分からない。300円で買った出品図録を見ると、曲がりくねった「20室」(27室まである)に下川君の「阿蘇秋景」があった。左に五後知博さん(福岡)の「教会にて」。教会の中で赤ん坊を抱いた若い夫婦を描いた微笑ましい絵。右に兼尾忠さん(神奈川)の「塊」。見上げるような巨木が描かれている。力づよさを感じる。左下に平松千恵子さん(大分)の「旅の中から」(アマルフィ)ヨットをあしらった海の風景。手慣れた筆使いであった。その隣に釣谷豊之さん(富山)の「しんきろう」。Gパンに半袖シャツの少女3人を描く。顔の向きがそれぞれ違う。私は「クオ・ヴァディス」と問いかけたくなった。右下に栗田はる江さん(青森)の「秋日」。ひまわりの絵。画布いっぱいにヒマワリが描かれる。見事である。ひまわりの季語は夏で「ひまわりの先に1945年の恋」と詠んだことがある。
昭和15年に発足した伝統ある創元会に下川君が初入選を果たしたのは平成3年の50周年記念展であった。毎回展覧会に出品している。一時期がんで入院中も画材・道具を病院に持ちこんで絵を描く熱心さであった。平成18年10月、私たちが出した「平成留魂録」−陸軍士官学校59期予科23中隊1区隊―の表紙の絵「九重山」を書いていただいた。重厚な絵であった。今回の阿蘇はより落ち着いた深い味わいを見せている。昭和50年代の後半、九州に在任中熊本を訪れた時、同期生が7、8人集まって「ぼんくら」で歓迎会を開いてくれたのを思い出した。「秋日和阿蘇の山並み情けあり」(悠々)
ついでに同館で開催中の「モディリアーニ展」(6月9日まで)を見る。小倉で良く通った料理店に飾ってあったモディリアーニの裸婦の絵を捜した。あった。題して「頭の後ろで両手を組み長椅子に横たわる裸婦」(1916年製作)。あの店の絵はリトノグラフかもしれないが、この裸婦とは20年目の対面である。カトログに曰く「人々が70年以上にもわたってモディリアーニに特別な思いを抱きつづけるのは恐らく彼の裸婦に魅了されるからであろう」モディリアーニはこの絵を制作した4年後の1920年1月にパリの慈善病院で死ぬ。36歳であった。芸術家として暁を見届ける前に貧困と失意の中で死んだ。イタリア語の墓碑銘には「まさに栄光に届かんとするとき、死が彼を連れさる」と刻まれている。下川君の絵のおかげでモディリアーニの絵が見られたのは幸運であった。 |