安全地帯(210)
−信濃 太郎−
「無声映画の良さを知る」
無声映画を見る機会があった(3月9日)。日本アイスランド協会総会のアトラクションとして上映された。意外と面白く感じた。映画は大河内伝次郎主演「血煙高田馬場」(1928年・日活京都・上映時間6分)と小倉繁主演の「子宝騒動」(1935年・松竹キネマ蒲田・上映時間34分)弁士は沢登翠さん。日本の活動写真は明治29年11月神戸の銃砲商、高橋信治がエジソンの最初の映写機キネストコープを小松宮殿下に上映したのを始まりとする。興行はその翌年、東京と大阪、京都で始まる。入場料は特別1円、一等50銭、2等30銭、3等20銭であった。明治36年浅草の電気館が最初の映画の常設館になった。大阪の常設館は4年遅れる。大正元年10月には怪盗ジゴマが大活躍するフランス活劇活動写真「ジゴマ」が悪人を英雄化し治安を乱すと上映中止になるエピソードもある。このとき活動弁士の説明は「花のパリかロンドンか月が鳴いたかほととぎす・・・」という名調子であった。「活動写真」が「映画」といわれるのは大正6年である。高津慶子主演「何が彼女をそうさせたか」(1930年・帝キネ・原作・藤森成吉)は映画の題名が翌年流行語になった。無声映画も影響力抜群であったといえる。失業、不景気の時代の反映でもあった。映画「子宝騒動」は斎藤寅次郎監督作品で「産めよ増やせよ」の時代を風刺したもの。小倉繁演ずる主人公福田は7人目の子供が生まれるというのに失業中、料金未納でガスも水道も止められる始末、産気づいたため産婆さんを呼びに行ったがこれまで6人分の産婆代を払っていないので相手にされない。金策に出かけた先々で様々な珍騒動を起こす。とりわけ資産家が逃げた豚に掛けた懸賞金500円をめぐる騒動が秀逸である。
主人公も僧侶も近所の人々も田んぼの中に逃げるブタを泥こんになって追いかける。日本には田んぼの泥を顔に塗ると福が来るといわれる。中国では男女が泥合戦をして顔に当たるとその男女が結ばれるという。このシーンは所詮、庶民は泥まみれになりながら働かなければ報われないと皮肉ったのであろうか。「産めよ増やせよ」といってもそう簡単なことではないですよ当局にあてこすったのであろうか。
ブタを捕まえた福田にはなんと三つ子が誕生する。6人の子供にせがまれていた鯉のぼりは今までおしめが翩翻と翻っていたが今度は本物の鯉のぼりが風に翻る。めでたしめでたしめでたし終わる。
沢登さんの話ではニューヨークでもパリでも字幕なしで上映したのに昭和の初め日本にもこのような立派な映画が製作されていたのかと感心されたという。「人生は短し、されど無声映画は長し」とつくづく感じいった。 |